箱根駅伝優勝には「2区は田澤じゃないといけないと感じていた」。駒澤大・大八木弘明監督が振り返る大学駅伝3冠への道
今年の箱根駅伝で、2年ぶり8回目の優勝を果たし、過去2回挑戦しながら果たせていなかった大学駅伝3冠を果たした駒澤大。その勝利の要因を「層の厚さがあったから」と試合直後に話していた、大八木弘明監督に改めてその走りと大学3冠達成について語ってもらった。
万全ではなかったものの、期待に応え4年生として有終の美を飾った田澤廉「3冠を狙うとなると、出雲駅伝や全日本大学駅伝は『スピードではうちがピカイチだな』という思いもあって、勝てそうだと感じていました。だけど、箱根は大変だなという思いもあって、層の厚いチームにしていかなければ勝てないと昨年から思っていました。各区間、5番以内で走れる選手を15人くらいは作っておかないと、12月に入って気温が下がってくると、疲労もあって体調不良が出てきてしまう。ましてや今は新型コロナウイルスやインフルエンザのリスクもあるから、それも踏まえると、そのくらいの選手層の厚さは必要だと思っていました」
それは嫌な形で当たってしまった。12月に入ってから、合宿中にエースの田澤廉(4年)と、全日本8区区間賞で優勝テープを切っていた花尾恭輔(3年)が体調を崩したのだ。
「最後の合宿に入った時にふたりが熱を出してしまい、みんなが30kmの走り込みなどをしている時期は練習ができなくて。1週間ほど休んで12月7日からは少しずつ軽いジョグも始めたくらいで不安もあり、せめて田澤だけでもよくなってこないかなという思いはありました」
一方、そのハプニングがあったことで、他の選手たちは「自分たちがやらなければ」という気持ちになってきたという。当初は補欠と考えていた赤星雄斗(3年)が11月の上尾ハーフマラソンで1時間02分00秒の3位、と安原太陽(3年)も1時間02分25秒で8位と、彼らも合宿でしっかりと走れていたのが安心材料だった。
「当初は2区が田澤で3区は佐藤圭汰(1年)。篠原倖太朗(2年)が7区で花尾が8区の予定でした。でも直前で、佐藤が腹痛になって感染性胃腸炎と診断されたので、篠原を3区に持ってこなければいけなくなって。8区は赤星にしようと思っていたので、安原を7区にして。そこがしっかり走ってくれるか、というのはありましたね。
ただ、2区に関しては絶対に田澤じゃないといけないと感じていました。往路は接戦になるだろうなと最初から思っていましたし、やっぱり最近の箱根は往路を勝ってそのままの流れで持って行くほうが強いので、絶対に往路優勝はしなければいけないと。だから5区も練習再開が遅れていた金子伊吹(3年・前回5区区間4位)ではなく、山川拓馬(1年)にしたのもその理由です」
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