箱根駅伝を立教大・上野裕一郎監督が振り返る。当日のメンバー変更は「普通、そんなことしない。何がメリットなのかピンとこない」
立教大・駅伝監督
上野裕一郎氏インタビュー
前編
55年ぶりに箱根駅伝に戻ってきた立教大。大学創立150周年記念事業として2024年の箱根駅伝出場を目指すなか、1年早く本戦出場を実現した。2018年に監督に就任した上野裕一郎氏は、指導者として価値を高めたのはもちろん、大学関係者、OBだけではなく、陸上ファンたちの注目を浴び、箱根を盛り上げた。結果的に総合18位に終わったが、監督として経験した箱根は、どのような世界が見えたのだろうか。
立教大は3区でエース格の関口絢太を投入したが区間16位に終わるこの記事に関連する写真を見る──箱根駅伝の予選会から本戦まで、順調だったのでしょうか。
「体調不良者、故障者は一切出なかったですね。多少、調子の波はありましたが主力が使えないことはなかったです。エントリ―した選手にプラス36名がシード権獲得という目標に対して、高い意識を持ってやってくれました」
──区間配置については悩まれましたか。
「1区の林(虎大朗・2年)、2区の國安(広人・1年)、3区の関口(絢太・3年)、9区の中山(凜斗・3年)、10区の安藤(圭佑・2年)は箱根予選会が終わった時点で、話をして準備をさせました。悩んだのは4区、5区、6区、7区です。特に特殊区間の山上りと下りですね。相澤(拓摩・1年)は上りの特性があったんですが、少し上れるぐらいでしたし、下りを想定したトレーニングでは全然、選手が当てはまらなかったんです」
区間エントリ―では、往路は1年生を中心に、エースの関口を置いたオーダーになった。1年生が3名も往路にエントリ―されていたのは、城西大と立教大の2チームのみだった。大胆な配置には、どういう意図があったのだろうか。
──1区に林選手を置いた意図は何だったのですか。
「林は能力が高いですし、集団について走っていくのが苦手ではない。スローテンポになればラストのスピードもあります。うまくいけば区間10位前後を狙えると思っていました。ただ、逆に20位もあるなという不安もありました。林は、"初"に弱いんです。それを払拭してほしいのもあって一番目立つ1区に置いたんですけど、18位で......。同期の太田(蒼生・青学大)君は、2年連続で快走した(昨年は3区2位、今年は4区2位)じゃないですか。彼と林はともに大牟田高校出身で仲がよく、同じレベルでやってきただけに、今回、差が開いたことで悔しさを感じたと思います。林には、この結果を背負ってこれから頑張ってほしいんです。僕も1年の時、1区19位でブレーキになったのですが、その経験を活かして成長することができたので」
──スタートの出遅れは、どうとらえていましたか。
「僕がブレーキした時の中央大は、力がある選手が多くて、高橋憲昭さんたちが挽回してシード権まで盛り返すことができたんですが、うちにはその力がまだなかった。すべて整ってシード権という感じだったので、スタートでつまずいた時点で、今回の箱根は厳しい戦いになるなという感じでしたね」
──2区からも順位が上がりませんでした。
「2区の國安は、岸本(大紀・青学大)君が1年の時に2区で出したタイムが67分03秒だったので、67分台前半を目指していたんです。でも、1区が出遅れた影響で単独走になってしまって、それでは67分台前半は難しいと思っていました。調子が悪いわけではなかったので、せめて68分台でまとめてほしかったんですけどね(※実際のタイムは69分37秒)」
──3区の関口選手は、エース格でしたが、まさかの区間16位でした。
「ゲームチェンジャーで期待していたのですが、全然走れなかったですね。ふだんのレースは自分でいろいろ考えて走るんですけど、この時は僕が『前半10キロが勝負だから行け』って伝えたんです。それで行かないといけないと思い、行ったら動かなくなって、粘ったけどこのタイム(64分1秒)だったのかなと」
──1万m、28分29秒の持ちタイムは駒澤大の1区2位の円(健介・4年)選手と同じレベルです。
「本当は1区でもよかったんですけど、関口自身が先輩の斎藤(俊輔・22年卒・関東学生連合として出場)の姿を見ていて、3区を走りたいと言ってきたので、走りたいところで走らせたんです。シーズンを通して調子がよすぎたので心配はしていたのですが、少し落ち気味のところで箱根に当たってしまったのかなぁという感じですね。それでも62分台前半で行ってくれると思ったんですが、読みが甘かったです」
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