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初代・山の神の苦悩「そう呼ばれて、それを超えられていない悔しさはある」。箱根駅伝5区で3年連続区間賞・今井正人が振り返る順天堂大時代 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

 2年時、箱根駅伝の5区、スタートラインに立つ前に周囲をチラッと見ると、残っている選手は5人しかいなかった。「これ(こんなうしろの順位)は、やばいな」と思いつつ、15番目で襷をもらった。快晴のなか、初めて山に入り、今井は前を追った。

「前に人がいたので追いやすかったですね。ひとり抜くごとにあそこまでという感覚を持って攻めることができたし、ずっと平坦な道を走っていくような感覚で走れました。正直、時計を見た時、ボタンを押し忘れたのかな、どっかで止めたのかなと思うぐらいの感覚でしたね。これは、本当に自信になったし、自分がアピールできるポイントが増えたなと思いました」

 今井は、11人抜きを実現し、区間新の走りでチームを往路4位に押し上げた。5区を快走し、その名前は一躍、全国区になり、山のスペシャリストとして名を馳せた。だが、この快走がその後の今井を少し苦しめるようになる。

 3年時、今井は9月中旬に疲労骨折をし、駅伝シーズンを前に精神的に少し不安定になった。ロードに戻ってきたのは11月、なんとか調整して箱根を迎えた。

「ギリギリ間に合わせたという感じでした。でも、この時、ラッキーだったのは、3年時になって5区の距離が伸びたので、前年度の自分と比較しなくてよくなったことでした。それで肩の力を抜いて走ることができて区間賞が獲れたんだと思います。もし、変わっていなかったら通過ポイントでタイムが出ていないとか、自分の感情として今年は動いていないなと焦っていたと思うんですよ」

 4年生になり、主将になった今井は、3年連続で5区を走り、順大の総合優勝に貢献した。4年間で4度箱根を駆けたわけだが、もっとも印象に残る箱根はどのレースだったのだろうか。

「自分のなかできっかけを作ることができたな、一番いい走りができたなと思うのは、2年生の時ですね。でも、一番うれしかったのは4年時の優勝です。レースは、スタートは北村(聡・日体大/現日立女子監督)君と一緒だったこともあり、意識しすぎて前半に力んでしまい、上りで力を使いすぎて......。下りになってからは左のふくらはぎが軽い肉離れになって、全開で下れなかった。前年のケガあがりの状況から25秒しかプラスを出せなかったので個人的な走りはもうひとつでしたけど、優勝はやっぱり全然うれしさが違いました」

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