初代・山の神の苦悩「そう呼ばれて、それを超えられていない悔しさはある」。箱根駅伝5区で3年連続区間賞・今井正人が振り返る順天堂大時代 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

箱根5区で3年連続区間賞

 夏から猛烈な巻き返しを見せた今井に大きなチャンスが訪れる。当時の順大は4年生が少なく、3年生で箱根のメンバー入りしたのがひとりだけで、2年生と1年生が主力だったが、今井は1年生ながら2区に指名されたのだ。

「指名された時はうれしかったですね。4年間、2区を走れるチャンスを得たと思いましたし、絶対に4年間走り続けるんだと心のなかで決めていました。高校時代、自分は思うようなところ(全国高校駅伝)に行けなかった。でも、順大では全国大会を経験したメンバーのなかで重要な花の2区をまかされたので、他の選手と張り合って、区間賞を獲って力を見せたいという気持ちがすごく強かったです」

 今井は、出雲駅伝で駅伝デビューを果たしていたが、1年生ながら箱根の2区に指名された。気持ちが高ぶり、スタートしたが、「雲の上を走っているようで何もつかめない」という状態で10キロが過ぎていった。

「襷をもらったのが18番目ぐらいで、いきなり苦しい展開で......。自分も最初、まったくペースをつかめず、今じゃ信じられないですけど、10キロを29分50秒ぐらいで行ったんです。そこでひとつ順位を落としてしまったので、さすがにこれはダメだと思っていたらそのあたりから上り坂が始まって。権太坂もあり、ようやくしっくりきたなぁと思って走っていたんです。最後の3キロ、前の集団に5、6人いたんで、そこをかわして襷を渡せて少しはインパクトを残せたかなと思いました」

 箱根デビューは2区10位という成績ながらラスト3キロの上り坂での走りが評価され、今井は注目されるようになった。当然、2年生になっても2区を走るつもりでいた。しっかりと結果を出し、外れる理由はないと思っていた。ところが2年生の箱根で指名された区間は、5区だった。

「きたか、という感じでしたね(笑)。監督のなかには、1年の時から5区の構想はあったと思います。1年の夏合宿中に上り坂をジョグしていたら澤木(啓祐)総監督が『おまえは5区だ』と言って走り去っていったんですけど、最初は自分に言ったのか、誰に言ったのかわからなかったんです。1年の時に権太坂で平坦を走るような姿を見て、やっぱり5区だなっていう話になったんじゃないかな。もちろん2区じゃない悔しさもありましたけど、せっかく箱根を走るんなら山がおもしろい。ちょうど中間地点で、そこを軸としてしっかり押さえられたらチームはもっと上の順位に行けるんじゃないかと思ったので」

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