日本最速ランナー・山縣亮太の文武両道の少年時代。「陸上選手になろうと思っていたわけではなかった」 (3ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

「9秒台を狙えるじゃん」と思った日

ーーそんな山縣選手ですが、今では陸上に専念しています。自身が「自分は陸上選手なんだ」と思ったのはいつ頃ですか?

 大学2年で、10秒07という記録を出せて、「9秒台を狙えるじゃん」とその時にあらためて思ったんです。10秒07は初めて出場した五輪での記録だったんですが、記録で自分の立ち位置を判断する部分があるので、五輪に出たから陸上選手なんだというより、9秒台を狙える位置にきたことでそう思えた。長い100メートルの歴史で、当時は9秒台を出した人がいなかったから、大きなチャンスがあるなって。

ーーその当時の日本記録は10秒00でした。

 1998年に伊東浩司さんが出された記録が燦然と輝いていていました。自分が20歳の時、そこに肉薄する10秒0台を出すことができたのが、大きな自信になりました。漠然と将来を考えるなかで、せっかくあるチャンスなら飛び込んでいきたいとの思いが、芽生えたんです。

 日本のスプリント界は世界的に見ればまだまだで、上には上がいます。それがむしろ僕にとっては面白そうだと感じられました。僕がアスリートを志した大学2年当時は、まだアジア人、黄色人種で9秒台を出した選手がいなくて、その悲哀の時間が長かった。自分がそこを切り拓いていける第一人者になれたら面白いだろうなって思っていました。

インタビュー後編 「パリ五輪でアジア新記録を狙う山縣亮太。意識する『自分の経験値と専門家の知見のリンク』とは?」>>

<profile>
山縣 亮太 やまがた・りょうた 
1992年、広島県生まれ。陸上男子100メートル日本記録保持者(9秒95)。セイコー社員アスリート。広島市の修道中学・修道高校を経て、慶應義塾大学総合政策学部へ進学。在学中の2012年、ロンドン五輪に出場。2016年リオデジャネイロ五輪、2021年東京五輪にも出場。2021年、布勢スプリントで100メートル9秒95の日本記録を樹立。

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