日本最速ランナー・山縣亮太の文武両道の少年時代。「陸上選手になろうと思っていたわけではなかった」 (2ページ目)
練習で疲れている日も「5、10分の勉強」を継続
ーー小学生ながら目標を意識して努力していたんですね。とはいえ、中学受験での難関突破と陸上の全国大会、両方を同時に目標に据えていました。難しさは感じていましたか?
やっぱり時間と体力の配分が難しかったですね。実際、僕がどこまで文武両道ができていたかというと、もうちょっとちゃんとやる必要があったかなと、当時を振り返って思うんです。でも、練習を本当に目一杯やると疲れちゃうじゃないですか。なんて言うか、勉強のほうに回す体力があまり残ってないことも正直しょっちゅうありましたよ。
ーーそれでも、両方とも継続されてきました。
勉強は科目によって差がありましたけど。僕は歴史がすごく好きで、小さい頃から日本や世界の歴史の本を繰り返し読んでいたりしました。もともと好きな科目は、面白いから勝手にやるんです。けれど、問題はちょっと苦手な科目ですね。
ーーどのように苦手な科目に取り組んでいたのでしょう?
意識をしてたのは、「5分、10分でもいいからやる」ということです。一気に1時間勉強しようと思ったら、「ちょっと体力がないな」とか「疲れたな」と思ってしまいます。でも、1科目5分だけだったら、毎日どんなに疲れていても、頑張れるかなと。
たとえば、宿題や予習・復習にしても、全部やろうと思って取り組むのではなく、ちょっとやろうかなという感じで始めてみる。すると、始めたら動き出すみたいなところがあって、5分で終わるつもりが、気がついたら1時間やっていたりとか。そういう自分の歯車が、噛み合って動き続けるのに期待していたのかもしれません。
ーーやり始めれば動き出す。確かにそういうことがあるかもしれませんね。陸上のほうでは、「しんどい」と心が折れてしまうような時はなかったのでしょうか?
子どもの頃は、正直、陸上選手になろうと思っていたわけではなかったんです。将来についてのイメージがまだ漠然としていました。それでも、やっぱり陸上が面白かったので、好奇心に流れを任せるような感じでした。
次第に大学行っても続けたいと思うようになっていましたし、「やめたい」とかマイナスの気持ちになることはなかったですね。ただ、必ずしも、すごい陸上選手になってやるぞと思いながら走っていたわけでもありませんでした。
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