2022.06.22

箱根駅伝の常連校へ。元主将・土方英和が明かす、当時の國學院大「入部時はだらしない人もいたんです」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第3回・土方英和(國學院大―Honda)前編

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2020年箱根駅伝2区、先頭集団を引っ張る土方英和(当時國學院大)2020年箱根駅伝2区、先頭集団を引っ張る土方英和(当時國學院大) この記事に関連する写真を見る

 昨年、びわ湖毎日マラソンで2度目のマラソン挑戦ながら日本歴代5位の2時間6分26秒をマークした土方英和。今年の東京マラソンでも2時間8分2秒と安定した成績を残しており、その走りと今後に大きな期待が寄せられている。國學院大学時代は3年時から主将を任され、箱根駅伝は4年連続で出走し、浦野雄平(富士通)とともに一時代を築き、多くの結果をチームに残した。今のマラソンにつながる國學院大時代の箱根駅伝での経験、そしてMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)、五輪について話を聞いた。

 埼玉栄高校時代、土方の同期は、中村大聖(駒澤大―ヤクルト)や館澤亨次(東海大―DeNA)らのちに各大学の主将を務めるハイレベルの選手が多かった。彼らが次々と箱根駅伝の強豪校への進学を決めていくなか、土方は大学を選べる選手ではなかったという。

「駅伝シーズンになると貧血(の症状)が出てしまって1年と3年の時はまったく走れなかったんです。駒澤大や東洋大とか駅伝が強い大学への憧れはありましたけど、実績がなかったので自分に入れる感じがしませんでした。でも、箱根には出たかったので、どうしようかなと考えていた時、勧誘を受けた大学のなかで一番強かったのが、國學院だったんです」

 國學院大は土方が高3の時の2015年箱根予選会は13位で本戦出場がかなわなかった。翌年、入部すると強いチームの雰囲気ではないことに気がついた。

「上級生の取り組みの姿勢がバラバラだったんです。蜂須賀(源・コニカミノルタ)さんや細森(大輔・YKK)さんは、競技への姿勢が真摯で走り込みが多く、尊敬できる先輩で、すごく勉強になったんです。でも、チーム内にはけっこうだらしない人もいたんですよ。そのため、チームが一体感に欠けるというか、そういうところが苦戦する要因だったのかなと思いました」

 土方が大きな影響を受けたのが、蜂須賀だった。入学した翌月の5月、関東インカレが日産スタジアムで開催されていた時、「一緒にジョグしよう」と誘われ、みなとみらいまで走って戻ってきた。それをきっかけにロングジョグに誘ってもらえるようになった。

「蜂須賀さんから『ほかの人は長い距離を走るとケガしたりするけど、土方はケガしないからいろんなところに連れていける』って言ってもらえて、夏合宿もふたりで走りました。僕は、月間1100キロぐらいでしたが、蜂須賀さんは1200キロを超えていたと思います。さすがに前田(康弘)監督からは『蜂須賀と全部一緒に(練習を)するな。ケガしちゃうから』って言われました」