2021.03.04

柏原竜二は震災後の箱根駅伝で区間新。恩師2人の言葉と東北への想いを胸に走った

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • photo by AFLO SPORT

『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第1回:柏原竜二

 東日本大震災発生から、まもなく10年を迎える。被災地のひとつである福島県いわき市出身の柏原竜二さんは、東洋大学の1年生だった2009年の箱根駅伝から4年連続で山登りの5区を走り、毎回の区間賞、うち3度は区間新記録を樹立。「山の神」とも呼ばれる圧倒的な強さで、母校を4年間で3度の総合優勝に導いた。

走ること結果を出すことで人々を勇気づけた、2012年箱根駅伝での柏原竜二さんの快走 走ること、結果を出すことで人々を勇気づけた、2012年箱根駅伝での柏原竜二さんの快走

 特に主将として迎えた最後の2012年大会は、前年に逃した総合優勝奪還を目指すとともに、震災発生から10カ月というタイミングでもあり、大黒柱である柏原さんの走りが一層注目された。結果は、4区の走者から首位でタスキを受けると、グイグイと加速して独走でフィニッシュ。4年連続の往路優勝、翌日の総合優勝返り咲きにも大きく貢献した。柏原さんは、往路優勝インタビューで故郷に向けてこんなメッセージを発している。

「僕が苦しいのは1時間ちょっと。だけど、福島県の方々はもっと苦しい思いをしていると思います。それに比べたら僕は全然きつくなかったです」

 故郷、福島への思いが、まぎれもなく快走の原動力だった。

 2011年3月11日は千葉県での強化合宿最終日で、地震発生の瞬間は埼玉県の寮に戻る車中だった。首都高速道路上で、「車がボンボンと跳ねるような激しい揺れ」を感じた。その後、東北地方を震源とする大地震だとわかり、さらに大津波の発生も知った。福島県内に住む両親らの無事は、その晩にやっとつながった兄からのメールで確認できたが、電話回線が復旧して声が聴けたのは地震発生から10日ほど後のことだった。