柏原竜二は震災後の箱根駅伝で区間新。恩師2人の言葉と東北への想いを胸に走った (2ページ目)
一時休止されていた陸上部の練習は3月下旬に再開されたが、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響や実家のある山間部で発生した土砂崩れなど不安は尽きなかった。
「走ることはなるべく続けていましたが、『こんな大変な時に走っていていいのか』『練習以外に、やるべきことがあるのでは』と、なかなか集中できませんでした」
モチベーションを取り戻せたのは恩師2人の言葉だった。ひとりは、いわき総合高校陸上部時代の佐藤修一監督(現・田村高校陸上部監督)で、やっとつながった電話で「帰省して手伝いたい」と話すと、「柏原にできるのは走ること。自分の仕事をしなさい。それが、福島県にとって一番だから」と励まされた。
もうひとりは、自身も福島出身で東洋大駅伝部の酒井俊幸監督だ。
「勝てない人間が、『頑張ろう』といくら言っても説得力がない。我々のやるべきことは、勝ってコメントを出すことだ」
練習再開にあたって、チームをこう鼓舞した。
「佐藤先生の言葉は練習に集中するきっかけになり、酒井監督は目指す方向を示してくれました。日本中の多くの人が被災地のために何かしたいと考えていた中、『僕たちは箱根で頑張っている姿を見せて勇気を発信しよう』とチームで話し合いました。しっかりとメッセージを伝えられるように、4年間で一番、勝利に執着した年になったと思います」
震災後の福島には、8月に入って初めて帰省した。倒れたままの塀、そこかしこに掛けられたブルーシート、真新しいのに地盤沈下している道路......。
「特に津波の被害に遭った地域は本当に何も残っていなくて、あっけにとられるような感覚でした。辛いなんてものじゃなかったです」
想像を絶する風景が広がっていた。
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