箱根連覇への舞台は整った。東海大3年生の黄金トリオがいよいよ出陣 (2ページ目)
ここまま順調にいけば、全日本に続き、箱根駅伝でも3人の力が必要になるのは間違いない。
「ようやく(3人で箱根)ですね。ここまでちょっと時間がかかりましたけど......」
塩澤は小さな笑みを浮かべて、そう言った。
東海大に入学して、3人の明暗は分かれた。名取は故障が続いて結果を出せず、3大駅伝に絡めなかった。塩澤は全日本大学駅伝に出走したが、大腿骨の疲労骨折で箱根は走ることができなかった。そんななか、西田は当時、唯一の1年生として箱根駅伝のメンバー入りを果たした。
「3人で一緒に箱根を走ろう」
それが3人の合言葉になった。
だが2年時も、実現することはできなかった。西田は春のトラックシーズンを順調にこなし、夏には実業団の合宿に参加し、同部屋の服部勇馬(トヨタ自動車)から練習への取り組みや体のケアを学び、選手として大きく成長した。そして箱根駅伝では念願の5区を区間2位の走りでチームを優勝へと導いた。
一方、塩澤は膝の故障に苦しみ、駅伝を狙える状態ではなく、名取はまたしてもケガが続き、両角監督の"再生工場"に入門し、独自の練習を続けた。
名取は箱根の山を軽快に走る西田の姿をうらやましがり、塩澤は走ることができなかった悔しさが徐々に大きくなっていった。優勝祝賀会やパレードでは裏方にまわり、壇上で声援を浴びる仲間の姿を見て、「自分もそこに立ちたい」という気持ちが強く湧いた。
「もうこんな悔しい思いはしたくない。今年こそは......という気持ちを強く持って、3年の時は挑みました」
塩澤は副キャプテンになり、チームのハンドリングをしつつ、故障しない走りに取り組んだ。きっかけとなったのは、2019年1月のアメリカ合宿でのコーチの助言によって走り方を変えたことだ。それが功を奏し、塩澤は故障することなく、今シーズンここまで走ってきた。
名取は"再生工場"で、距離を踏んで脚をつくってから、チーム全体練習に合流した。3年になっても慎重に脚づくりを進め、大会も限定するなど、無理のないように調整してきた。その結果、走力がアップし、札幌マラソン(ハーフ)で優勝するなど、本来のポテンシャルが開花。そして先述したように、全日本では一躍ヒーローとなった。そんな名取を見て、塩澤は仲間ながらすごさを感じたという。
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