出雲の悔しさは全日本で晴らす。
箱根の「主役」たちが復調してきた (2ページ目)
唯一、7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会5000mで13分57秒46の自己ベストを出したが、その時も「涼しくてコンディションがよかったんです。あまりうまくいっていないなか、最低限の結果」と、表情はさえなかった。アメリでの夏合宿を終え、暑い日本に戻ってきても調子は上がらず、出雲駅伝10日前の練習でも特別いい感じには見えなかった。それが涼しくなり始めた大会直前、急に調子が上がってきた。
「調子いいんですよ。めっちゃ自信あります」
その声はいつになく弾んでいた。しかし、小松は出雲駅伝のメンバーから漏れた。
「外されたのは経験と実績かなぁと思います。それに夏合宿で練習を一度離れてしまったんですよ。その時、首脳陣からの信頼を失ってしまったかなと......でも、今日のレースで信頼を取り戻せたのかなと思います」
小松にとって出雲の記録会は、全日本大学駅伝に向けて信頼を取り戻すために絶対に負けられないレースだった。勝つことに集中し、そのためのレース運びに徹した。序盤は無理せず中央に位置し、3000m過ぎに3番手の位置につけ、ラスト1周の鐘が鳴るとスピードを上げ、前をいく郡司のうしろについた。小松の得意のレースパターンだ。そして残り100m付近でラストスパートをかけ、郡司を一気に抜いてゴールした。
「ラストは前に郡司がいたので、これは負けたくないと思って......でも、郡司が前じゃなかったら、もっと早くから仕掛けていたかなぁ。何度も言いますけど、外された悔しさがあったし、これは全日本の選考じゃないですけど、チーム内の争いも激しいので負けるわけにはいかなかった」
全日本のエントリーメンバーは出雲市陸協記録会の登録メンバーとほぼ重複しているので、ここで結果を出すと起用される可能性は高くなる。東海大のように選手層が厚いチームでは、結果を出すことの積み重ねで出走メンバーの椅子を獲得していくしかないのだ。
レース後、表情を崩す小松に「この結果をどう監督に報告しようか」と聞いた。すると小松は苦笑して、こう言った。
「なんて言おうかなぁ。『全日本は任せてくれ』と言いたいですね(笑)。でも、やっぱり出雲は走りたかったなぁ」
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