東海大の黄金世代に「勝ち意識」の呪縛。出雲駅伝で4位も収穫はあった (3ページ目)
「4区は上りベースのコースで、実際に走ってみたんですが、思った以上に高低差がなくて、最後ちょっと上ったり、下ったりがあったぐらいで、比較的走りやすいコースでした。単独走はあまり経験がありませんが、高校生の時も追っていくレースがわりと多かったんです。こういう前を追うレースはちょっと自信があるので、今回はそういう走りができたかなと思います」
見ていて思ったのは、市村が表情を歪(ゆが)めながらも楽しそうに走っていたことだ。コース適性がはまり、自分の力をフルに発揮できたのだろう。青学大の神林勇太(3年)に次ぐ区間2位(17分29秒)の走りで、前をいく国学院大、東洋大に迫った。
「神林さんはすごかったです。自分よりちょっと早いペースで、あの集団(駒澤大、青学大、国学院大、東洋大)のなかで押していって、最後に勝ち切るのは......たぶん、今の自分じゃできない。そういう強さを自分も身につけないといけないと思いました」
だが、市村の走りもアンカーの西田の快走につながるすばらしいものだった。
「今日は80点ぐらいです。アベレージをキープして走り切ることができたのですが、ラストスパートがうまくかけられなかった。まだ改善するところがありますし、それを全日本、そして箱根につなげていければと思います」
市村自身、まだハーフで勝負するだけの力はないと言うが、ポテンシャルの高さは今回のレースで証明した。箱根駅伝に向けては、厳しいトレーニングを積み、ロングに対する耐性をつけていく必要があるが、それにしても"谷間の世代"と言われていた2年生から走れる選手が出てきたことは、非常に大きな意味を持つ。
「次(全日本大学駅伝)は12キロ前後の区間を走り、区間賞を獲りたいと思います」
デビュー戦を終え、欲が出てきたのだろう。伸びしろも十分にあり、次代の東海大のエース候補に名乗りを上げた。
出雲駅伝は勝てなかったが、東海大の全体の走り自体は悪くなかった。少なくとも、青学大の影を一度も踏めずに完敗した昨年のようなレースではなかった。選手たちは悔しさを噛みしめていたが、コテンパンにやられたというショックはなく、レース後は次に向けて気持ちを切り替えていた。
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