2019.05.01

末續慎吾が世界陸上で銅メダル。
陸上短距離界の「もう一歩」の壁を破る

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by REUTERS/AFLO

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2003年8月 世界陸上パリ大会200m 末續慎吾】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

 日本男子スプリントの歴史の扉が開いた瞬間――。それは、2003年世界陸上パリ大会。200mで末續慎吾が銅メダルを獲得した時だった。短距離種目では、それ以前にも01年世界選手権エドモントン大会400mハードルで、為末大が3位入賞を果たし、世界大会において日本短距離界初のメダルをもたらしていた。だが、フラットレースでのメダル獲得は、それを上回る影響力があった。

2003年世界選手権200mにて、大混戦のなか見事3位に入った末續慎吾(左) 末續はこの年、5月に100mで自己新記録(10秒03)を出し、200mも6月の日本選手権で20秒03と、日本記録を塗り替えていた。好調を維持しながら勝負をかけて出場した世界選手権で、200mでは世界ランキング3位、出場選手の中ではランキングトップという状態だった。

 その自信は予選の走りから出ていた。8月27日、朝に行なわれた一次予選は、外側のフランシス・オビクウェル(ポルトガル、自己記録19秒84)をとらえたところで力を抜いて、直線に出てから流す走り。そして、夜の二次予選ではラスト50mから流していた。世界大会で日本人選手が左右を見ながら、力を抜いて走る姿はこれまで見たことがなかった。

 当時、末續はその走りについて明るい表情でこう話していた。

「一次予選は5割くらいで、二次予選は8割くらいで走れたのは思い通り。たくさん練習をしてきたから別に驚くことはないし、自信もありました」

 28日の準決勝は無風の条件のなか、「スタートはちょっと遅れました。緊張したのではなく、フライングの判定が厳しいので少し遅れ気味に出ました」と冷静。ジョン・カペル(アメリカ)に次いで、20秒22の2位で決勝進出を決めた。

 準決勝のレース後には開口一番、「ここからです」と口にした末續。続けて、「準決勝止まりだった2年前の世界選手権のミックスゾーンで皆さんに(決勝進出を)約束したので、決勝に出られてよかった」と満面の笑みを浮かべた。