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神野大地、母の反対を押し切り
プロ宣言。安定を捨ててまで目指すもの (2ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun

 福岡国際マラソンまでは100%ではないにしろ、春から段階的にいい練習を積み重ねることができた。神野は2時間8分台を目指し、初マラソンに対する期待感が膨らんだ。しかし、現実は足のマメや腹痛もあり、2時間12分50秒に終わった。日本人トップの大迫傑(すぐる/Nike ORPJT)に5分もの差をつけられての完敗だった。

――この結果がプロ転向に影響を与えたのでしょうか。

「ここが大きなキッカケになりましたね。福岡のスタート前は『やれる』という自信と、『本当に40km走れるのか』っていう不安が半々だったんです。でも、終わってから一気に自信がなくなり、『これ、やべぇぞ』って焦りが出てきた。東京五輪を目指すのに『これじゃ、箸にも棒にもかからんぞ』って思ったんです。その時は不安と焦りが80%ぐらい占めていました。

たぶん、それまでに実業団でいい成績を出したり、福岡で大迫(傑)さんが出した2時間7分台の記録を出せていたら、プロになることはもちろん、考えることもなかったと思います。でも、初マラソンで自分の力のなさを感じた。『このままじゃ、やばい』と思い、プロに気持ちが一気に傾いていきました」

――今年2月、東京マラソンが終わった後は、もう気持ちが固まっていた。

「そうですね。1月にニュージーランドの陸連の合宿に出て、いい練習が積めたんです。そこで1km3分のペースでイケるという自信を得ました。東京のスタートラインに立った時は、30kmまでそのペースでいける。残り12.195kmが勝負だと思える余裕があり、福岡の時とはまったく違う自分がいたんです。

ただ、レースは30kmまでよかったものの、32kmで腹痛が起きて2時間10分18秒に終わった。悔しかったですが、東京五輪の選考にまったく引っかからないということはないとの手応えがありました」

――腹痛がなければ10分は切れていた。福岡から2カ月での成長はすごく大きかったと思います。

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