箱根2区を制した神大・鈴木健吾が「マラソン向き」と言われる理由 (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 2年時の箱根駅伝が、鈴木をさらに奮い立たせることになる。当時、神奈川大の主力は4年の我那覇和真(現・日清食品グループ)と西山凌平(現・トヨタ紡織)の2選手だった。その2人が1区と5区を担当し、鈴木は2区を任されたのだが、15位で襷(たすき)を受けた順位をひとつも上げられず、区間14位の凡走に終わった。

「当時は、我那覇さんや西山さんについていくだけで、自分で考えながら練習することができていませんでした。2区に起用されるプレッシャーや『勝負できないのではないか』といった半信半疑な気持ちもあって、かすりもしないような走りしかできず......。トップ選手との力の差を見せつけられた悔しさが、さらに練習に打ち込む原動力になったと思います」

 鈴木はエリートランナーとして育ってきたわけではない。宇和島東高校時代の5000mのベストタイムは、2013年の高校ランキングで89位(14分25秒64)。インターハイ決勝には進出したものの10位で終わり、1500mは予選落ちした。3年時には全国高校駅伝にも出場したが、1区を走って区間21位と、特別目立つ存在ではなかった。

 神奈川大に入学したのも、「テレビで見ていた箱根駅伝に出たい」という理由のみで、陸上も大学までで辞めるつもりだったという。1年生にして全日本大学駅伝や箱根駅伝に出場を果たしたが、満足する結果は出せず、「大学の厳しさを見せつけられて、すごいところへ来てしまったな」と思うだけだった。

2 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る