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【月報・青学陸上部】箱根を走れなかった
男たち、それぞれの想い (2ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text by Sato Shun  photo by Nikkan Sports/Aflo


「出雲から帰ってきて1、2週間後の練習中にエネルギー切れのようになって、初めて止まったんです。今まで入学してから、そんなことは一度もなかった。それからは故障もしていないのに、ふつうのジョグさえキツくなってしまいました。全日本、箱根も中心になってやっていこうと思ったんですが、その思いとは裏腹に最悪というぐらい走れなくなって......。何なんだって、かなり戸惑いました」

 11月、箱根駅伝の登録メンバーを決める選考レースが2つあった。世田谷ハーフマラソンと10000m学連記録会である。ここで結果を出さなければ、茂木の箱根挑戦はゲームオーバーになるが、ここで終わらせるわけにはいかなかった。昨年の箱根駅伝は10区にエントリーされたが、直前に4年生と交代させられたのだ。

「あの時は涙が出るほど悔しかったです」

 その悔しさを噛みしめ、次の箱根は必ず走ると心に誓ったのだ。茂木はその思いを込めて懸命に走った。世田谷ハーフは65分49秒と平凡なタイムで17位に終わったが、学連10000mでは29分14秒でシーズンベストを出した。ギリギリで結果を出し、なんとか箱根登録メンバー16名に滑り込んだ。

 しかし、12月上旬の富津合宿では、アピールを十分にすることができずに終わった。

「その時点で難しいなというのは感じていました。僕はこれまで箱根で成績を残しているわけじゃない。そういう選手は選考を勝ち抜いていくしかないんですけど、11月にいい結果を残すことができなかったですし、富津合宿でも(監督に)使ってみたいと思わせるような走りができなかった」

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