【月報・青学陸上部】箱根を走れなかった男たち、それぞれの想い (3ページ目)
年末に発表された区間エントリーには名前がなく、同じ補欠には安藤、下田裕太(3年)、田村和希(3年)らエース級の名前が並んでいた。茂木にとって最後の箱根はほぼ絶望になった。
レースの日、往路では5区の貞永隆佑(3年)のサポート役についた。全日本大学駅伝の時は初駅伝の森田歩希(2年)につき、「ここで頑張ればヒーローになれるぞ」と声をかけてリラックスさせた。その声が森田の区間賞を獲る快走を生んだひとつの要因にもなった。貞永も箱根初挑戦で緊張していたので、「復路に強い選手がいるから、負けてもいいから頑張ってこい」と声をかけた。
だが、全日本の時とはちょっと違う自分の気持ちに気がついた。
「サポートしながらも気持ち的に、やはりモヤモヤしていました。やっぱり、監督やみんなの期待に応えて、5区か10区を走りたかった。ただ、ケガとかで全日本や箱根の選考レースに出られなかったわけではないですし、調子が悪くなったのは自分の責任。レース、合宿とすべて挑戦したうえでダメだったので悔いはないです。でも、悔しい。それはずっと消えなかったですね」
モヤモヤしていた茂木の重たい気持ちを振り払ってくれたのは、田村和の走りだった。7区の区間賞を獲る勢いでスタートしたが途中で脱水症状になり、フラフラになった。襷(たすき)が途切れる可能性もあったが、我慢して懸命に走り続ける姿が茂木の胸を打ったのだ。
「あれは田村だから最後までいけた。本当によく最後まで頑張ったなと思います」
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