高橋尚子の世界最高記録から15年。なぜ日本マラソンは弱くなったか? (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AFLO

 彼女らに続き、1993年の世界選手権では浅利純子が優勝して安部友恵が3位に入り、1996年のアトランタ五輪では有森が銅メダルを獲得。1997年の世界選手権でも鈴木博美が優勝し、女子マラソン選手の心のなかには、「日本で上位に入れば、世界のトップになれる」という思いが生まれた。そして指導者のなかでも、男子マラソンのノウハウを活用し、日本人女性の我慢強い特性を生かしてしっかり強化すれば、世界で活躍できるという自信を持つようにもなった。

 そのような時期に、初マラソンの舞台を踏んだのが高橋尚子だ。大学を卒業して小出監督に師事すると、1998年3月の名古屋国際女子マラソンで2時間25分48秒の日本最高記録を出して才能を開花。さらに同年12月、タイのバンコクで開催されたアジア大会では暑さもあるなかで最初から突っ走り、2時間21分47秒の驚異的な記録で優勝してみせた。

 この記録は当時の世界歴代5位だが、同年4月にロッテルダムマラソンでロルーペが男子選手と同走してマークした2時間20分47秒の世界記録と比較すると、気象条件に加え、女子だけのレースで、しかも最初から独走ということを考慮すれば、勝るとも劣らない快記録と言える。

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