【続・東京マラソンへの道】中島彩「チャリティランナーとして再び東北へ」

  • 中島彩●文・写真 text & photo by Nakajima Aya

 みなさん、こんにちわ! 『走るフリーアナウンサー』の中島彩です。今年もチャリティランナーとして走る「東京マラソン2014」まで、残り約1週間となりました。私が寄付先に選んでいるのは、昨年に引き続き、東日本大震災の復興支援。名古屋のテレビ局報道部時代での取材をキッカケに、私はフリーになってからも、毎年、被災地の岩手・陸前高田を訪れています。そして今年も、2月11日に陸前高田市を訪れました。なかなか変わらない被災地の様子を見て、私が走る意味を改めて考えさせられました。今回のテーマは、「RUN×東日本大震災復興」。毎年、東京マラソンは「3月11日」に近い日に行なわれています。私は走るたびにあの震災を心に留め、日本がひとつになって復興に向けて足を揃えていければと願っています。

陸前高田にある東日本大震災追悼施設の前にて陸前高田にある東日本大震災追悼施設の前にて☆3年前と変わらない陸前高田の傷跡

 岩手県陸前高田市を訪れた私は、被災地ランナーであり、ランニング友達の阿部美由紀さん(岩手県北上在住)に案内してもらいました。阿部さんと会ってすぐに言われたのは、「彩さん、がっかりするかもしれないけど、ほとんど何も変わってないんだ」ということでした。実際、到着して驚きました。被災から2年11ヵ月――、陸前高田は昨年と変わらず、ほぼ更地のままだったのです。私は陸前高田を毎年訪れています。この約3年で変わったことと言えば、建物が取り壊されたくらいでしょうか。街に人がまったくいないのです。陸前高田市のとなりにある大船渡市はかなり回復したように見え、人も街に戻り始めているのに......。「なぜだろう?」と思いました。

 阿部さんに話を聞くと、陸前高田市は広範囲に壊滅的な状態になったため、その復興には他の被災地より時間も予算もかかるのだそうです。また、住民は別の街に避難し、そこでの新生活が始まっているとのことでした。しかし、新天地の生活をすべての被災者の方が望んでいることではないんだそうです。慣れない土地で不自由な生活をしながら、陸前高田への帰還を待っている人も多いと教えてくれました。

 震災前、陸前高田の海岸には、「高田松原」と呼ばれる千本松がありました。しかし現在は、1本の松(奇跡の一本松)を残して、すべて壊滅しています。震災前は松が繁る砂浜で、岩手県内の陸上部の学生たちが合宿をして足を鍛えていたそうです。

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