パラリンピックへの道が「めちゃくちゃキツい」車いすフェンサー・藤田道宣の本音 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu

 そのなかで最大の挑戦だったのが、4号剣や3号剣を使用して戦うことだった。剣の種類に合わせて、剣と手を固定するテーピングも使い分けた。ほかの選手にとって短い剣を使用するメリットはないが、障害で手首にも力が入らない藤田にとって、3号剣の軽さは武器となる。そして、対戦相手が経験したことがない距離感での試合展開に戸惑っている隙をついて、ポイントを重ねていくのだ。

 19歳の時に海の事故で障害を負う前、藤田はフェンシングの名門・平安高(現:龍谷大平安高)で剣を握り、龍谷大でもインカレなどで活躍した。当時のメイン種目はパワー系のエペだったが、車いすフェンシングに転向してからは繊細な技術で戦うフルーレに変更。ライバルのプレーを徹底的に研究し、緻密な戦略を立てる点では健常時代の経験値が活きる。

 そうして地道に技術面や戦術面を磨き、2018年のアジアパラ(ジャカルタ)では、男子フルーレ個人カテゴリーBで銀メダル、同エペ個人カテゴリーBとフルーレ団体で銅メダルを獲得。4号剣をメインにするという独自の戦い方を確立し、東京パラリンピック出場も叶えた。

「今から上に上がってやるぞ、と思っていた」

 その矢先に前述のルール変更により、これからは5号剣で戦うしかなくなった。

「僕の場合、5号剣を使うと剣の速度が遅くなり、力も分散されてしまうんです。握力が回復することもない。これまでのように道具の変化はできなくなったので、また新しい対策を立てる必要があります」

 東京パラリンピックの選考レースでは、ベスト16やベスト8の成績をおさめていたが、パリパラリンピックの選考レースではベスト32やベスト16に留まることが多くなった。「最近、4号剣を使っていた時代の動画を見返したんですけど、今の自分とは全然違うんです。ずいぶん弱くなってしまったな、と......。大会が終わるたびに、どうすればいいのかずっと悩んでいます」と、言葉を振り絞る。

 それでも、諦めることはしない。世界選手権やワールドカップを転戦するなかで、何か対策のヒントがないか、何か掴めないかと模索を続ける。トレーニング以外では、アタックする際の前後の動きを速くするイメージで車いすのセッティングを大きく変え、座面のクッションも変更した。

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