車いすラグビー日本代表が世界選手権で3位。次世代エース・橋本勝也が経験した葛藤と覚悟 (3ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

パリパラでの活躍を目指して

 橋本が見つめるその先にあるのは、2年後のパリパラリンピックだ。そして、その頂点を本気で目指すため、昨年の東京パラリンピック以降、橋本はいくつかの決断を下してきた。

 まずは、競技環境を変えることだ。橋本は高校卒業後に就職した地元・福島の三春町役場を退職。今年4月、アスリート雇用でキャプテンの池が所属する日興アセットマネジメントに移った。池から競技に向かう姿勢やキャプテンシーを学べると考えたからだ。自分以外の3人のハイポインターは40代。橋本は、「パリやその先を見据えた時に、いつか必ずくる世代交代のことを考えれば、少しでも早い段階で先輩たちから吸収することが必要だと考えた」と、決断に至った経緯を語る。

 個人練習にも、より多くの時間が割けるようになり、体力面やアジリティ面など、武器となるものをさらに磨くため、心肺機能を鍛える新しいトレーニングを取り入れた。そして、ラグ車もバケットシートの位置を変更し、身体のポジションを少しうしろに置くことで、漕ぎだしの力強さが増すように変えた。

 また、代表合宿がない週末は、拠点の福島から東京のパラアリーナに移動して、関東のクラブチームの練習や個人練習に混ぜてもらって基礎を磨いている。対人練習は相手の特徴や癖を見抜く力を養うことができる。「今走るべきなのか、パスすべきなのか。相手にどう動いてもらうか。どういう駆け引きをすれば抜けるのか。僕にはそういった試合のなかの判断力がまだ足りないので鍛えたい」と橋本。福島から東京までの移動は、自分で車を運転してノンストップでも往復6時間かかるが、「ラグビーがうまくなるためだったら、時間を犠牲にしてもかまわないと思っています」と、覚悟をのぞかせる。

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