銅メダル獲得の瞬間「今がバトンを渡す時」。ゴールボール・浦田理恵が日本代表から引退、新たなステージへ

  • 星野恭子●取材・文・写真 text&photo by Hoshino Kyoko

 昨夏の東京パラリンピックで、ゴールボール女子日本代表の銅メダル獲得に貢献した浦田理恵(シーズアスリート)は約3カ月後の12月、「ここまで悔いなくやりきった。バトンを渡す時期だと思った」と、代表からの引退を表明。強化指定選手期間が終了した今年3月末をもって代表活動にピリオドを打った。

 1977年、熊本県生まれの浦田は20歳を過ぎて網膜色素変性症を発症し、急激に両眼の視力が低下した。失意のなかでゴールボールと出会い、才能が開花。攻守の要であるセンターを定位置に、2008年北京大会から4大会連続でパラリンピックに出場。12年ロンドン大会では金メダルに輝き、東京パラでは日本選手団の副主将も務めた。

 日本を代表するパラアスリートのひとりである浦田が見つめる未来とは? 代表引退の決断と今後のキャリアプランなどについて話を聞いた。

代表として最後となった昨年12月のジャパンパラも最後まで笑顔だった浦田理恵(中央・背番号2)代表として最後となった昨年12月のジャパンパラも最後まで笑顔だった浦田理恵(中央・背番号2)* * *

――まずは、代表選手引退の決断について聞かせてください。12月の発表時点では、「引退を決めたのは東京パラリンピックの3位決定戦終了の瞬間」と話されていました。

「はい、(2021年)9月3日に銅メダル獲得を決めた瞬間、『今がバトンを渡す時だ』と感じました。私は、アスリートである以上は常に自分がナンバーワンであることや自分がやるんだという、個人プレーとも言える強い思いが必要だと思っています。でも、ゴールボールは団体競技なので仲間の力を引き出したり、互いに高め合い、仲間を分身のように思うことも大切です。そのバランスをとることは難しいけれど、価値があることだと思って取り組んできました。

 東京パラに向けてたくさんの支援のおかげで悔いのない準備ができましたし、大会後に私自身はすべてを出しきれた手ごたえがありました。大会期間中も若手の選手たちの成長をすごくうれしいと感じていました。このうれしい思いが高まった今こそ、私の引退の時だ、代表としては終わりにしようと決めました」

――引退は東京パラ前から考えていたのですか?

「大会前は、私たちが金メダルを獲り、表彰台の一番高いところに立っているイメージがあって、その時を私はどんな気持ちで迎えるんだろうという気持ちはありました。引退が浮かぶのかなという思いもありましたが、ワクワク感が大きかったです。

 大会を終えて、決勝の舞台に立って金メダルを獲れなかった悔しさも大きかったですが、相手チームの強さを認められたし、大会期間中に厳しい局面もたくさんあって気持ちが落ちかけたこともありましたが、それでもチーム皆で、『必ず表彰台に立つぞ』と強い気持ちを入れ直して、3位決定戦で勝つことができた。このチーム、本当に成長しているなと頼もしく思えました」

――東京パラ前に一度、A代表落ちを経験された時は再度奮起して、代表切符をつかみ取りました。あの時の気持ちとは違っていたのでしょうか?

「そうですね。あの時は悔しくて、『ここでは終われない』という私自身の強い思いと周囲からの応援で踏ん張る力をもらい、東京パラ代表の内定をいただくことができました。でも、東京パラ後は自分がこれまで準備してきたことや今持っている力を全部出し、『やりきった』という気持ちのほうが大きかったのです」

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