銅メダル獲得の瞬間「今がバトンを渡す時」。ゴールボール・浦田理恵が日本代表から引退、新たなステージへ (3ページ目)

  • 星野恭子●取材・文・写真 text&photo by Hoshino Kyoko

――新たな目標は、どのように見つけたのでしょうか?

「私は東京パラで、副主将として開会式で選手宣誓をさせていただきましたが、ステージに立った時に『スポーツって、すごい!』と今までにないような衝撃を感じたんです。コロナ禍でさまざまな制限があったなかでも、スポーツというコンテンツで、世界中から選手が集まり、選手を支える人たちの思いまで集まっていて、『あ~、世界がひとつになるってこういうこと。スポーツには人と人をつなげる力が本当にあるんだ』と、頭だけでなく、体でも実感できたんです。

 今はコロナ禍で夢を持ちにくく、コミュニケーションを取るにも配慮が必要です。強いられているものが多い時代のなかで子どもたちから、『どうせ自分には無理』といった言葉を耳にすることも多くなりました。

 でも、可能性はたくさんあります。刺激して少しでもプラスのエネルギーを与えて、前に進んでもらいたい。これからの元気な日本を担うのは子どもたちなので、スポーツの力を伝えたいのです」

――浦田さんはもともと、小学校の先生になる夢をお持ちでしたね。子どもたちがキーワードでしょうか。

「そうですね、私自身も違う形で夢を叶えながら、子どもたちが夢を描けるような社会にしていきたいです。パラスポーツを使って、人と人とが思いやりをもってつながり合えるような社会の姿を伝えたいです。

 たとえば、ゴールボールは目が見えない仲間とプレーするので言葉でのコミュニケーションの大切さやボールをパスする時に目が見えない相手にこうやって渡すと危ないなどと、プレー体験を通じて伝えることができます。こうした体験を通して頭で理解するだけでなく、体や心の動きで体感できていたら、とっさの場面でも相手にも自分にも優しくなれるのではないでしょうか」

――夢は持ち続ければ、叶うのだと、浦田さんの歩みを見ていて、強く思います。

「私は目が見えなくなって落ち込んでいた時にゴールボールと出会いました。2004年アテネ大会で日本女子が銅メダルを獲得したことをテレビで見て、『見えないのに、なんでそんなことができるの?』と驚き感動して、夢をもらいました。そして、真剣にやることは楽しいと教えられました。うまくいかないこともいっぱいあるし、夢をひとりで叶えることは難しいことも多い。でも、人と人とが支え合い、思い合えるような社会だったら、実現できると思っています。

 でも私はまだ、『いつか、こんなことがやりたい』という夢に向かって新しいスタートを切ったばかりです。まだ不完全な部分もたくさんあるので勉強しながら、セカンドキャリアを考えているオリンピアンやパラリンピアンとのネットワークも大切にして次のステージを作り上げる準備をしているところです。いずれ、面白いことをお見せできるように頑張ります。引き続き、よろしくお願いします」

――浦田さんが目指す新たなステージを楽しみにしたいと思います。ありがとうございました。

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