【母の日プレゼンツ】妻となり母となり、競技を転向してパラリンピック出場。谷真海が明かす、招致活動からの8年間

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 撮影●矢吹健巳photo by Yabuki Takemi

母の日プレゼンツ@谷真海編

※このコラムは、2021年12月28日に『web Sportiva』で配信したものの再掲載になります。内容は当時のものとなります。

「メダル以上に、大きな宝物をもらいました」――義足のアスリート、谷真海選手は2021年8月29日、東京パラリンピックのトライアスロンに出場し、最下位10位ながらゴールでは清々しく達成感あふれる笑顔を見せた。

2013年には東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会招致の最終プレゼンテーションでトップバッターとして登壇し、大会開催決定に大きく貢献。「招致の立役者」として注目されるなかで、結婚、出産も経験。「ママアスリート」がまだ少ない現状のなか、競技と家庭を両立させた。

8年間に及ぶ東京パラ挑戦を陰で支えた家族との絆などについて、谷選手に話をうかがった。

招致活動から開催までの8年間を谷真海選手に振り返ってもらった招致活動から開催までの8年間を谷真海選手に振り返ってもらった――2013年の東京パラリンピック開催決定から出場までの8年間、谷さんにとって、どのような日々でしたか。

「すごくエネルギーを使った分、濃かったなと感じています。そんな時間を家族とともに歩めたことは一生残るものになりました。パラリンピックには陸上でも3大会出場していますが、家族ができ、子育ても初めて、また、トライアスロンでの挑戦も初めてでしたから、両立する難しさもありました。だからこそ、家族のチームワークも深まったと思います」

――東京大会挑戦を正式に表明されたのは、結婚・出産後でした。競技復帰について、夫であり東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも関わっていた昭輝さんにはどのようにお話しされたのでしょうか。

「しっかり話し合ったことはなかったと思いますが、ともに招致活動から関わり、東京パラリンピックはふたりにとって思い入れのある特別な大会でした。だから、『アスリートとして出場の可能性があるなら挑戦しよう』というのが夫婦共通の思いでした。

ただ、最初はすごく遠い夢で、東京開催じゃなかったら、チャレンジしていなかったかもしれません。出産後の体がどんな状態になるのか、どうしたら両立できるかなど、やってみないとわからない。まずは、ほんのわずかな可能性に向かって、できることを手探りでコツコツ積み重ねていく毎日でした」

――不安も困難も大きかったなかで、昭輝さんはどのような存在でしたか。

「夫は最初からずっと、『できる限りのことはする』というスタイルでいてくれました。ママアスリートは夫婦の協力体制がないと不可能に近い。夫の支えが私にとって本当に心強かったです。コミュニケーションもよく取れていたので、不安や悩みもすぐに相談でき、負担を軽くできたと感謝しています。

ふたりで夢を共有し、見ている方向が同じだったことは大きかったですね。目指しているものが違うと、熱の入れ方も違ってしまうと思うので」

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