金メダリスト秋山里奈「私が東京パラに反対した理由」 (2ページ目)
伊藤 ロンドンのお客さんたちは、その選手を知ってるとか知らないとかじゃなくて、スポーツエンターテインメントを楽しもうと見に来ていますよね。次の休日は映画に行こう、ショッピングに行こうというのと同じくらい、「パラリンピックを見に行こう」という感じが浸透している気がしました。
秋山 はい。すごく楽しんでいるのが分かったし、自分が応援している以外の選手にも素晴らしいパフォーマンスをすれば拍手を送って応援してくれるので、本当にスポーツの国だなって感じました。
伊藤 日本国内の大会は人が少ないですよね。
秋山 そうですね。来ているのは両親とか友達とか、知り合いがほとんどです。
伊藤 そう考えるとあと6年で、日本がロンドンのようになるには時間が足りないんじゃないかと強く感じたということですね。
秋山 そうですね。
伊藤 観客が集まらないとき、やっぱり障がい者スポーツに関してはこのくらいの認知度しかないのか、と感じますか?
秋山 認知度とはちょっと話が外れてしまうかもしれないですけど、パラリンピックの特集をされる時って、絶対にまずどういう逆境を乗り越えてきたかみたいな障がいの話に踏み込むんですよ。私は先天性なのでそこはないんですけど、例えば事故で足がなくなった、手がなくなったとか、それで、そこから頑張って(パラリンピックに)出るみたいな。それって確かに大変ですけど、パラリンピック選手みんなそうなので。ドラマを求められすぎるんですよね。それを見ていると、もっと競技のことを前面に押し出して取り上げてほしいと思うんです。取り上げてくれるようになっただけでもすごくうれしいんですけど、こんなに大変なのに頑張ってるみたいな感じで絶対捉えられると思うんです。それがすごく私は嫌です。
伊藤 なるほど。その傾向はまだ変わらないですよね。
秋山 なかなか無くならないと思いますね。もちろん選手もそれをアピールポイントにしている部分はあるので、すべて否定できないところはあるんですけど。例えば練習中に故障して、そこから立ち直ったとか、そういった話だったら別だと思うんですよね。
伊藤 要するに、アスリートとして取り上げてほしい、ということですよね。
秋山 そうです。その、もっと努力の部分とかをフォーカスしてくれるとうれしい。失意のどん底から立ち直って、みたいなものを求めすぎる傾向があると思うんです。障がい者は自分よりも大変なのに頑張っているっていう意識があるからこそ、そういうことになっているのかなと感じます。
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