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秋山里奈「水泳仲間の小学生たちのおかげで金メダルが獲れた」 (3ページ目)

  • 文●スポルティーバ text by Sportiva
  • 写真●五十嵐和博 photo by Igarashi Kazuhiro

伊藤 普通の子どもたちのスポーツ離れもありますが、障害のある子どもたちはさらにスポーツをしている確率が低いですよね。

秋山 そうですね。機会がないですからね。拒否されちゃったりとか。私は普通のスイミングスクールでやってきましたが、そこで目の見える子どもたちと一緒に遊んだり泳いだりできて、彼らも普通に小さい頃から私がいるので、目は見えないけどあとは普通だっていうふうに思ってくれて、それがどんどん引き継がれていくんですよ。世代が変わっても。

伊藤 そうなんですか。

秋山 10も20も下の子たちと一緒に泳ぐんですけど、私が更衣室に入れば、普通に手を取ってロッカーまで連れて行ってくれたり、「ここ空いてるよ」と教えてくれたり、タイムを読んでくれたりとか。彼らは、私以外の障がい者が困っていても、きっと助けてくれると思います。小学校、中学校にしろ、スポーツの教室にしろ、障がい者だけを特別に1対1とかにしないで、みんなの中にどんどん入れてもらいたいと思います。

伊藤 そうですね。今、障がいのない人たちのスポーツクラブ、総合型地域スポーツクラブでは、利用者に障がいのある人がいなくて、どうしてですか?と聞くと、何かあったら困るからって。

秋山 ちょっとだけみんなが目を配ってくれると、特に危ないことはないんですけどね。

伊藤 6年後の東京パラには、今の小学生や中学生ぐらいの子が出場してくるわけですけど、才能ある子どもたちをどうやって探せばいいと思いますか?

秋山 すごい難しいことですよね。私が水泳で仲いい子は、自分がパラリンピックの対象者だって知らずにアテネパラを見過ごしてたんです。目は見えにくいっていう自覚はあるけれど、それでパラリンピックに出られるとは思わずに、普通に健常者の大会に出ていて。そういう人たちが、探せば結構たくさんいると思うんですよね。

伊藤 そういう人を探したいですね。でも、「パラリンピックにこんな競技があるよ。出てみたら?」って声をかけてくれる人はとても少ないですよね。ここにすごく大きな壁があるような気がするんですけど、どうですか?

秋山 そうですね。その通りです。そういった意味では、声をかけてくれる人が1人いるだけで、全然違うと思うんですよね。私も河合さんの本を読むまで、目の見えない人が競技で競ってるっていうのを知らなくて。健常者の中でどうやって勝とうって、それだけ考えていました。

伊藤 秋山さんもそうだったんですね。

秋山 はい。パラリンピックっていう舞台があるっていうことを知って、その後どっちで頑張るかっていうのを決めてもらえばいいですよね。障害があるからパラリンピックとかじゃなくて、障害があってもオリンピックを目指す人がいてもいいと思うんですよ。本人がどっちに出場するかを選択して。とにかく“知る機会”をもっと多くの人に与えていってもらいたいと思います。

(つづく)

【プロフィール】
秋山里奈(あきやま りな)・写真右
1987年11月26日生まれ。神奈川県出身。
生まれつき全盲で、3歳から水泳を始めた。2004年アテネパラリンピックに初出場し、100m背泳ぎで銀メダルを獲得。2008年北京パラリンピックでは背泳ぎS11クラス(視力0)が廃止され、自由形で出場したが、50m8位、100m予選落ちという結果に終わった。2012年ロンドンパラリンピックでは再び背泳ぎS11クラスが復活し、念願の金メダルを8年越しで獲得している。

【プロフィール】
伊藤数子(いとう かずこ)・写真左
新潟県出身。NPO法人STANDの代表理事。2020年に向けて始動した「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では顧問を務めている。2003年、電動車椅子サッカーのインターネット中継を企画、実施。それをきっかけにして障がい者スポーツと深く関わるようになった。現在、障がい者 スポーツ競技大会のインターネット中継はもちろん、障がい者スポーツの楽しみ方や、魅力を伝えるウェブサイト「挑戦者たち」でも編集長として自らの考えや、選手たちの思いを発信している。また、スポーツイベントや体験会を行なうなど、精力的に活動の場を広げ、2012年には「ようこそ、障害者スポーツへ」(廣済堂出版)」を出版した。

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