「お前がラクして生意気だな」「あいつ若いくせに」厳しい言葉を浴びせられるも佐藤慎太郎が貫いた誇りとファンへの思い (5ページ目)
佐藤の回答は常に明瞭で、ユーモアのセンスにもあふれていた photo by Sunao Noto(a presto)この記事に関連する写真を見る
【あらためて感じたすばらしさ】
栄華を極めていた佐藤だが、2008年5月にそれが暗転する。落車による右足くるぶしの剥離骨折。選手生命を脅かすほどの大ケガで、入院生活は2か月以上に及んだ。その期間に佐藤は身に染みて感じたことがあった。
「競輪選手という仕事のすばらしさを再確認しました。下手したら走れなくなっちゃうようなケガだったので、一走一走大切にしなくちゃいけないと思いましたし、レースに向かっていくまでの過程も大切にしなくちゃいけないという気持ちになりました」
復帰した佐藤は、新たな気持ちで練習に取り組むと、少しずつ成績が上向いていった。2010年9月のGⅠオールスター競輪で決勝2着になると、翌年には4年ぶりにS級S班に返り咲くことができた。
しかし順風の時期は長く続かなかった。東日本大震災の影響で練習環境が激変。さらに大ギアがブームとなり、スピード化が加速したことも影響を与えた。レースの戦法がシンプルになる傾向があり、技術面で長けていた佐藤が苦しい状況に置かれることも多くなった。「もうGⅠ優勝争いはできないかもしれない」と思うこともあった。事実、2008年の大ケガ以降、年間を通して好成績を維持できず、KEIRINグランプリにも長らく出場できなかった。
添田の歌う『狼の旅立ち』にはこんな歌詞も登場する。
「明日の栄光、つかめるほどに、優しくはない」
再び栄光をつかめる日は来るのだろうか――。先の見えないなかでも佐藤は前に進むことだけを考え、日々限界まで自分を追い込み続けた。
(インタビュー後編に続く)
【Profile】
佐藤慎太郎(さとう・しんたろう)
1976年11月7日生まれ、福島県出身。自転車競技の名門・学校法人石川高校で競技を始め、チームパシュート3位の実績を残す。卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、1996年8月にデビュー。1999年にS級に昇級し、2003年には全日本選抜競輪でGⅠ初優勝を果たす。2003年から4年連続でKEIRINグランプリに出場するも2008年に大ケガを負い、以降、不本意な時期を送る。2019年、13年ぶりにKEIRINグランプリに出場すると、初の栄冠を手にする。そこから5年連続でKEIRINグランプリの舞台に立ち、ファンから絶大な支持を得る。2025年からはS級1班として奮闘中。生涯獲得賞金は17億円を超える。
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