「お前がラクして生意気だな」「あいつ若いくせに」厳しい言葉を浴びせられるも佐藤慎太郎が貫いた誇りとファンへの思い (3ページ目)
「気合と根性」も佐藤の信条 photo by Sunao Noto(a presto)この記事に関連する写真を見る
【若くして追い込み選手へ転向】
競輪にはラインがある。ラインは同県、同地区、練習仲間などが連係してチームを組み、レースを展開するというもの。最後は個人の争いとなるが、ラインを形成することで、上位進出への可能性はグッと高まる。先頭の選手は風圧をまともに受け体力の消耗が激しくなるため、上下関係や体力的な面から若手が先頭を走り、後続を引っ張っていくことが多い。
佐藤も当然のようにデビュー当初からラインの先頭を任され、先行することが多かったが、次第に葛藤が生まれてきた。
「若いころから伏見(俊昭/福島・75期)さん、金古(将人/福島・67期)さん、岡部(芳幸/福島・66期)さんと一緒に練習をやらせてもらっていたんですが、本当に強かったです。3人ともいつGⅠを獲ってもおかしくなかったですし、実際に獲ってもいました。このぐらいの自力選手でGⅠを1回か2回獲る感じなんだろうなと思ったら、俺はもう自力では獲れないなと思いました」
自力とは、先行したり、まくったりと、自ら仕掛けてレースを動かすラインの先頭を走る選手のこと。佐藤も自力選手として走っていたが、そこからラインの後続を走る追い込み選手になる決断がなかなかできずにいた。
「自力選手のように、自分でレースを組み立てると、負けても納得できるし、勝った時はめちゃくちゃうれしいんですけど、追い込み選手として自力選手の後ろで走って負けるのって悔しいんですよ。勝ったとしても、本当に自分の力で勝てたのかなと思ったりして、喜びが半減します。そんな状況に耐えられるかなという葛藤もありました」
そんな複雑な思いもあったが、「GⅠタイトルを獲るなら、追い込み選手に転向したほうがいいかもしれない」、そう思い始めた頃に転機が訪れた。2000年8月のGⅢで、金古の助言で追い込み選手として出走したところ、先行した金古が優勝、佐藤が2着という成績を収めた。ラインとしての勝利に佐藤は大きな手ごたえをつかむと、以降、追い込み選手として少しずつ出走する機会をもらい、存在感を示すようになった。
しかし20代半ばでの追い込み選手転向には、やはり風当たりが強かった。
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