「お前がラクして生意気だな」「あいつ若いくせに」厳しい言葉を浴びせられるも佐藤慎太郎が貫いた誇りとファンへの思い (2ページ目)
「地元でグランプリをやるなんて夢にも思っていませんでしたから、なんとしてもそこの舞台に立ちたいなっていう気持ちはもちろん強いです。オールスターを獲ってグランプリに出られたら、それは最高ですね。グランプリはGⅠを獲った選手に対するご褒美だと思うんですよ。だからやっぱり一番何がほしいかと言ったら、GⅠタイトルですね」
オールスター競輪にはファン投票10位で選出。上位陣は20代、30代の猛者たちが占めるなかで、異例とも言える人気ぶりだ。佐藤が「GⅠを獲りたい」と発言しても、それが夢物語だとは思えず、その可能性は十分にあると思わせるほどのオーラもある。
競輪界で異彩を放つ佐藤はどのようにしてここまでの選手になったのか。その道のりは決して平坦なものではなかった。
【逃げ道のない猛練習の日々】
佐藤は自転車競技の名門・学校法人石川高校で競技を始めるが、同級生には、当時の高校記録を塗り替えた榊枝輝文(福島・79期)がおり、全国にも小倉竜二(徳島・77期)、岡崎孝士(熊本・77期/2011年引退)、小野俊之(大分・77期/2026年4月引退)ら強豪選手が多く、目立った成績を残せなかった。それでも今以上に倍率が高かった日本競輪学校の試験には何とか二度目で合格し、1996年8月、競輪選手としてデビューを果たした。
佐藤は添田のもとで厳しい練習に取り組んだ。師匠からはことあるごとに「お前のポテンシャルであれば、GⅠなら1~2本は簡単に獲れるよ」と言われ、その言葉を信じてトレーニングに励んだ。日々タイムを計り昨日の自分と比較することで緊張感のある練習を繰り返し、朝5時から夜9時まで毎日追い込んだ。
「GⅠタイトルを獲れるだけの練習量も練習メニューも組んでやっていました。もう逃げ道はなかった。だからこのまま練習をやり続けていれば、本当にGⅠは獲れるかもしれないなという気持ちになってきました」
その練習量と質が成績となって表れ、デビュー翌年にはB級(当時の最下位層)からA級に昇級。4年目の1999年にはS級に上がることができた。
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