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競輪のトップ9・寺崎浩平が負けたくない相手とは 近畿の先頭が実は「遠回りのようで一番の近道だった」とGⅠ初優勝にも言及 (2ページ目)

  • 加藤康博●文 text by Yasuhiro Kato

 大学卒業後は2018年に地元福井で行なわれる国体に向け、福井県の職員として競技を継続する。そこで成年男子ケイリンを制し、チームスプリントとあわせて2冠を達成。翌年、25歳にして満を持して日本競輪選手養成所へ入所すると、極めて優秀な成績を残したことで、史上初となる早期卒業を果たす。

「自転車競技歴が長く、しかも年齢も上だったので、養成所では若い選手たちに負けたくないという思いは強かったです。養成所では1回目の記録会でトップを取れるなと感じましたし、それくらいじゃないとプロでもすごい選手にはなれないだろうと思っていました。早期卒業制度を誰も成し遂げていないことも知っていました。とにかく養成所の記録を塗り替えたいと思っていたんです」

 自転車の申し子とも言える寺崎の視線は、この時点ですでにプロの世界の高みへと向いていた。

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【2023年から競輪に専念】

 2020年のプロデビュー後も勢いは止まらない。デビュー戦から18連勝を記録し、S級へと昇格。そのS級でも史上最速となるデビュー79日で優勝を飾るなど、快進撃を見せる。

 また自転車競技のナショナルチームのメンバーとして2022年にはニューデリーで行なわれたアジア選手権ケイリンで金メダルを獲得し、世界選手権ケイリンでも決勝に進み、6位に入った。競輪と自転車競技の両立は成功しているかのように見えたが、寺崎自身はそう感じていなかった。

「競技のほうは結構、苦しかったです。2022年くらいから少しずつよくなってきましたが、そこまでは結果も出せず、国際大会での予選敗退も多かったですから」

 そして2023年の世界選手権を持って、ナショナルチームからの離脱を決める。翌年にパリ五輪があり、その代表選出にも可能性を残していたが、「オリンピックには出るだけでなく、そこで戦いたいと思っていましたが、選考争いで圧倒的に抜けていないと難しい。ズルズルやるのではなく、スパッとやめたほうがいいなと感じたんです」と、競輪への専念を決める。

 その決断に至るにあたって、世界選手権の後に出場した2023年のオールスター競輪もひとつのきっかけとなった。

「自転車競技は個の強さが重要視され、その面で世界と戦う限界を感じていました。でも競輪はチーム戦であり、周りの力を生かして勝負ができるところに面白さがあります。その面白さをあらためてここで感じたんです」

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