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【平成の名力士列伝:鶴竜】先輩とは異なる雰囲気を醸し出した4人目のモンゴル出身横綱

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

ケガに苦しみながらも横綱としての責務を果たしてきた鶴竜 photo by Jiji Pressケガに苦しみながらも横綱としての責務を果たしてきた鶴竜 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝71(最終回):鶴竜

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、温厚で真面目な性格で第71代横綱となった鶴竜を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【素直で真面目な性格で順調に出世】

 朝青龍、白鵬、日馬富士という強烈な個性を放った先輩横綱たちとはひと味違う。穏やかで知的な印象をまとったモンゴル出身4人目の横綱となった鶴竜。井筒部屋伝統のモロ差しを磨き、組んでよし離れてよしの正統派の技能が光る横綱は、温厚で素朴な外見の裏に、勝負師としてのしたたかさも備えていた。

 昭和60(1985)年生まれでモンゴル・スフバートル出身。父はモンゴル国立工業大学教授という家庭で育った。モンゴル相撲の経験はなく、少年時代はバスケットボールに熱中していたが、テレビ中継でモンゴル出身の旭鷲山や旭天鵬の活躍を見て刺激を受け、力士を志した。

 とはいえ相撲界にツテはない。そこで頼りにしたのが、たまたま家にあった日本の相撲雑誌に載っていた好角家団体「日本相撲振興会」の広告。入門への思いをしたためた手紙を送った。その熱意が伝わって元関脇・逆鉾の井筒親方を紹介されて入門が決まり、来日。師匠の父である先代井筒親方の四股名「鶴ケ嶺」の一字を取った「鶴竜」の四股名をもらい、平成13(2001)年11月場所、16歳で初土俵を踏んだ。

 素直でまじめな性格で、師匠の教えを守ってコツコツと稽古に励み、出世は順調だった。

 入門から4年後の平成17(2005)年11月場所、20歳で新十両。翌年の11月場所に21歳で新入幕を果たすと、井筒部屋伝統のモロ差しのうまさを持つ技能力士として頭角を現わし、平成20(2008)年1月場所、東前頭8枚目ながら優勝争いに絡み、技能賞を獲得。西前頭筆頭で迎えた平成21(2009)年3月場所では3大関を破って10勝し、2回目の技能賞。新小結に昇進した5月場所も3大関を撃破して9勝を挙げ、2場所連続3回目の技能賞。7月には23歳で新関脇に昇進した。

 三役や三賞の常連となった鶴竜だが、当時、将来の大関、横綱と期待する声は、必ずしも大きくはなかった。理由のひとつは、相撲も性格もおとなしいこと。モロ差しの技能相撲は見事だが、爆発力には欠けた。大関陣をしばしば倒した一方で、朝青龍と白鵬の両横綱には歯が立たない。

 温厚で素朴な雰囲気は、確かに魅力的ではある。しかし、抜群の運動神経や剥き出しの闘志を発揮した朝青龍、モンゴル相撲の横綱を父に持ち、生まれながらに大横綱の風格がある白鵬、全身全霊で真っ向勝負を挑む日馬富士など、大関や横綱に上がったモンゴルの先輩たちのような強烈な個性は、鶴竜からは感じられなかった。主役というより、玄人好みの脇役――。そんな印象のとおり、再関脇の平成21(2009)年11月場所から4場所連続で負け越すなど、しばらくは足踏みが続いた。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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