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「執念深さだけで会計士の資格を取った」ボートレーサー・渡邉雄朗が掲げる目標までの長い道のり (2ページ目)

  • 杉田純●取材・文 text by Sugita Jun

【最下位クラスの過去】

 渡邉は2012年4月にボートレーサー養成機関「やまと学校(現・ボートレーサー養成所)」に112期生として入学。もうすぐ26歳になるというタイミングだった。

 ボートレーサーの養成所と言えば、厳しい管理生活と過酷な訓練で知られている。過去に多くのスポーツに挑戦してきた渡邉でも「大変でしたよ。地獄でしたね」と当時を振り返る。

「出来が悪かったんで。ボート操縦とか整備とかも全然できなくて、成績も最下位クラス。水面でも全然練習させてもらえなかったです。実力も開く一方でした」

 同期ではあっても周りの訓練生は20歳前後が多い。渡邉からすれば年下である。そんな同期たちのほうが、次々に上達していった。渡邉の同期には馬場剛や石丸海渡ら、現在もA級として活躍する選手が多数いるが、渡邉は彼らの後塵を拝していた。

 ただ、そんな状況が渡邉の反骨心に火をつける。

「彼らのほうが操縦もすぐにうまくなるんです。でも、卒業してからはその反骨心で頑張れたかなというところはあります。馬場とか石丸に負けたくなかったんで」

 怒られてばかりだったという渡邉だが、養成所のリーグ戦では1度だけだが優出(優勝戦に出場すること)を記録。勝率も5.70と悪くない数字を残した。

 そして2013年5月にデビューを果たすと、29走目で初勝利を挙げる。これは、養成所で追いつけなかった馬場や石丸よりも早く、112期の中では3番目の早さだ。養成所時代から抱いていた執念深さが実を結んだ瞬間だった。

 初勝利はボートレースで最も不利な6コースからまくったものだったが、この「まくり」が渡邉の身上となる。エンジンのパワーを引き出して早いスタートを決め、豪快にまくる――。このスタイルを確立させた渡邉は、デビューしてから8期目に初めてA2級に昇格する。

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