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ヒロド歩美の原点はヨット部時代にあり? 「泣きながらおにぎりを食べた」過酷な日々が「今の私をつくってくれた」 (2ページ目)

  • 堤 美佳子●構成 text by Tsutsumi Mikako
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

【全日本選手権を目前に断念も「ほっとした」】

ーー全日本選手権の出場枠も獲得されたそうですが、大会には出場されなかったとか。

 それが中学2年の時だったのですが、当時通っていた学校の規定で、(平日開催の)大会出場のための公欠が認められなかったんです。(活動を認めている学校に転校して)ヨットを続けるか、い今の学校生活を選ぶか、という選択を迫られて私は学校を選びました。

ーーその決断をした時、悔しい思いはありましたか?

 もちろんありました。すぐ身近にオリンピックを目指している子もいて、その子が世界大会でエクアドルに行った話などを聞いていたので、ミーハーな気持ちもありましたが、自分も頑張れば世界に行けるのかな、なんて漠然と思っていたんです。

 だから「全日本に出られないのか......」というショックはありました。でも正直に言うと、どこかでほっとした自分もいたんです。練習が本当にしんどかったので。

ーー具体的には、どんな練習を?

 ヨットは自然が相手なので、とにかく過酷なんです。とくに強風の時は、マストが顔に当たれば大ケガにつながりますし、実際に亡くなる方もいるくらい危険。ヘルメットも被りませんから。冬は寒いなかでウエットスーツを着て海に出るので、手はかじかむし、トイレも大変。レース中はおむつをしていたこともあるくらいです。優雅で快適そうなイメージを持たれがちですけど、まったくそんなことはなくて。今思えば、よくやっていたなと思います。

 ただ振り返ると、もっとやれたこともあったんじゃないかとも思うんです。中学2年って言われたことをやるだけでなく、「こうしたらもっと伸びるんじゃないか」って自分で考え始める一番大事な時期ですよね。

 私はそのタイミングでやめてしまった。練習がしんどかったのは事実ですけど、今の自分から見て「あの時、本当の意味でヨットに向き合えていたか」と問われると、少し自信がないんです。

ーーそれでも打ち込めた、ヨットの魅力とは何だったのでしょうか。

 自然と対話できる感覚、というのは本当にそうです。それに、ゴールする方法がひとつではないところ。風を読んで最短ルートを狙うか、風がある場所に遠回りしてでも進むか。その駆け引きが本当に面白くて、「急がば回れ」という言葉の意味を体で学びました。今でも海を見ると「あそこは風があるな」なんて、風の通り道が自然と見えたりします。

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