【将棋】米長邦雄永世棋聖の「最後の弟子」杉本和陽六段が語る、勝負に厳しかった師匠から受け継いだもの (4ページ目)
【米長永世棋聖の「最後の弟子」が師匠から受け継いだもの】
杉本六段は、高校生だった17歳(2008年)で三段リーグに参戦を果たしたものの、後一歩でのところで昇格を逃すシーズンが続き、プロ棋士として認められる四段昇格を成し遂げたのは25歳で迎えた2016年だった。この時、「昇格できずに心配していた」という師匠はすでに鬼籍に入っており、活躍する姿を見せることは叶わなかった。
「対局では決して引かず、勢いのある将棋を指しなさい。そして、対局には絶対に迷いを持ち込まないようにしなさい」
そんな米長永世棋聖の教えを胸に、プロ棋士のキャリアを歩み始めた杉本六段は、時に対局の勝敗に一喜一憂しながらも勉強を続け、今回の棋聖戦で初タイトル挑戦の機会を掴んだ。
遅咲きの棋士がなぜ飛躍を遂げることができたのか。その一因には、杉本六段の勝負に対する向き合い方の変化が挙げられる。
「棋士である以上、日々勉強を続けなければならない立場にあることは承知していますが、目先の対局の結果に一喜一憂し、卑屈な感情を引きずってしまうような場面も少なからずありました。ですが、それでもできる限り早めに気持ちを切り替えて、いつでも穏やかに過ごすことを心がけるようにしてきました。
生前の師匠がおっしゃられていた『日常生活では笑いが大切だ』という言葉を胸に刻みながら、師匠のような気品とユーモアを備えた棋士として、これからも歩み続けていきたいです」
棋聖戦では、初の大舞台とは思えぬほどの粘り強い将棋で存在感を見せたが、藤井棋聖の前に勝利を手にすることはできなかった。
それでも、「またこの舞台に戻ってこられるように精進したい」とカムバックを誓った33歳は、どのように実力に磨きをかけていくのか。米長永世棋聖の思いを受け継ぐ杉本六段の巻き返しに期待したい。
●杉本和陽(すぎもと・かずお)
1991年9月1日生まれ、東京都出身。米長邦雄永世棋聖門下。2003年9月に奨励会入会。2017年4月、年齢制限ギリギリの25歳で棋士に。棋風は終盤巧者で、劣勢になっても粘り強く、師匠譲りの"泥沼流"とも言われている。
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