【将棋】米長邦雄永世棋聖の「最後の弟子」杉本和陽六段が語る、勝負に厳しかった師匠から受け継いだもの (2ページ目)
【米長永世棋聖の勝負への執着】
杉本六段が、師匠の勝負に対する執着心を実際に目にしたのは、2012年1月に行なわれた最強将棋ソフト「ボンクラーズ」との将棋電王戦を控えた時期だった。杉本和陽六段の師匠、米長邦雄永世棋聖 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
ガンの病魔に侵されるなかで対局に臨んだ米長永世棋聖は、自宅にさまざまな年齢の棋士を招き、自身の将棋ノートにペンを走らせながら必死に勝利の糸口を探っていた。古くから米長永世棋聖を知る者にとって、その様子は7度目の挑戦で中原誠十六世名人を下した第51期名人戦(1993年)に臨む姿と重なるものがあったという。
そして、その頃を知らない杉本六段にとっても、世紀の一戦を控えた師匠の姿は強烈に印象に残っている。
「師匠と過ごす日々のなかで、ノートの中身を偶然目にしたことがあるんですけど、そこには書ききれないくらいの文字量で、将棋の戦法や、その時に感じていた思いが記されていました。師匠の勝負師としての執念を感じずにはいられませんでしたね」
さまざまな解析を重ねてソフトとの対局に臨んだ米長永世棋聖は、2手目に「△6二玉」という奇策を披露し、見るものを驚かせた。
「おそらく『ソフトのプログラムが役に立たなくなるのではないか?』と考え、この手を打ったのかなと推測されます。どんな相手でも勝負にこだわり、勝利を目指す。師匠らしさが垣間見えた瞬間だったと思います」
その後、中盤までは接戦を繰り広げたが、終盤にわずかな隙をつかれて敗戦。この対局からおよそ1年後の2012年12月、闘病の末にこの世を去った。
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