【平成の名力士列伝:勢】甘いマスクと美声の「華」ある力士が貫き通した愚直なまでの相撲道 (2ページ目)
【勝敗よりも相撲内容を愚直なまでに追求】
才能が開花し始めたのは平成25(2013)年11月場所。幕内では初めて2ケタ勝ち星の11勝をマークし、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。「結果よりも内容がよかったのがうれしい」と右差し速攻にも磨きがかかり、3場所後の平成26(2014)年5月場所は前頭5枚目で9日目に早々と勝ち越しを決めると優勝戦線にも顔を出し、11勝で2度目の敢闘賞を受賞。しかし、番付運に恵まれず、翌場所は新三役とはならなかったが「なる時はなるし、ならない時はならない」と本人は淡々としていた。
徐々に力をつけていき、平成26(2014)年11月場所は新小結に昇進。1場所で三役の座を明け渡した翌年1月場所は1勝14敗と辛うじて全敗を免れた。同年7月場所も2勝13敗の大敗に沈んだが「この大負けがあったからと言える日が来れば」と下を向くことはなく、連敗中でも勝った時と同様のマスコミ対応に終始した。
翌9月場所から11勝、12勝と2場所連続で2ケタ勝ち星&敢闘賞と躍動し小結に復帰したが、当代きっての人気力士は喜びを爆発させることなく「持てる力を全部出しきった結果です。今やれることを精いっぱいやりました」と冷静に好成績を受け止めるだけだった。
プロである以上、結果が大事なのは言うまでもないが、それがすべてではない。「結果だけで判断されるのは、嫌なんですよね」と話す勢は、数字や白黒のその先をいつも見据えていた。
以前、野球を引き合いに出し、語っていたことがある。
「完ぺきにとらえた打球がホームランと思った瞬間、風に流されてファールになったとしても芯を食っていたわけだし、僕はそれでいいという考え方なんです。次につながるのは確かですから」
結果よりも自分の相撲内容にとことんこだわり、どんな強い相手にも立ち合いは決して逃げることなく、常に真っ向勝負を貫いた。全盛期の横綱・白鵬からは2個の金星を奪っている。
初土俵から関取の座を明け渡すまでの16年もの間、一日も休むことなく土俵に立ち続けた。平成31(2019)年3月場所は左足に蜂窩織炎を患い、連日40度近い高熱にうなされた。しかし、朝晩、病院で点滴を打ちながらも「皆さんのサポートに感謝してやっています。勝ち負け以上のものを見せたい」とわずか2勝に終わったが、15日間をしっかり全うした。
勝敗に一喜一憂することなく、また誰かをライバル視することもなく、ただただ己の信じる道を愚直に歩んだ現役生活だった。引退会見では「やれるだけのことはやりました。よくここまであきらめず、腐らず、貫いてやってこれたと思う」と語り、完全燃焼して土俵を降りた。
自身の引退相撲では幼年時からの憧れだった山本譲二と共演。自慢ののどを鳴らし、熱唱のうちに自らの土俵人生を締めくくった。
【Profile】勢翔太(いきおい・しょうた)/昭和61(1986)年10月11日生まれ、大阪府交野市出身/本名:東口翔太/しこ名履歴:東口→勢/所属:伊勢ノ海部屋/初土俵:平成17(2005)年3月場所/引退場所:令和3(2021)年7月場所/最高位:関脇
著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。
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