【平成の名力士列伝:三杉里】「いぶし銀」として存在感を示し、「土俵際の魔術師」として輝きを放った職人 (2ページ目)
【貴花田キラーは部屋合併後に若花田初優勝を援護】
平成5(1993)年1月場所後、元横綱・初代若乃花の師匠の定年退職に伴い、二子山部屋が藤島部屋と合併し、元大関・貴ノ花の藤島親方が年寄二子山を襲名。藤島部屋は新大関の貴花田改め貴ノ花(のち横綱・貴乃花)と若花田(のち横綱・若乃花)の兄弟や安芸乃島、貴闘力、貴ノ浪がおり、二子山部屋にも三杉里のほか隆三杉、若翔洋が幕内上位にいて何度も対戦。三杉里は貴花田には初顔から5連勝するなど「藤島キラー」とも呼ばれ、貴花田の初優勝の際には千秋楽の対戦相手となって注目を集めてもいた。
そんな因縁のあるふたつの部屋が合併してうまくいくのか――。注目されるなかで幕を開けた3月場所は、9日目を終えて小結・若花田が1敗で単独首位に立ち、2敗で横綱・曙、大関・貴ノ花らが追う展開となった。
そんななか迎えた10日目の結びの一番で三杉里は曙と対戦。直近の対戦ではパワフルな突き押しに歯が立たず5連敗していた三杉里だが、立ち合ってすぐ右四つに組むと、慌てて出てきた横綱を土俵際、まず右からすくい、続いて逆の左から突き落として泳がせ、送り出して快勝。曙はこの黒星が響いて優勝争いから脱落し、若花田が初優勝を果たした。
注目の場所で、新しく弟弟子になった若花田に格好の援護射撃を果たした姿は、ここ一番で存在感を示す三杉里の真骨頂といえよう。
その後も長く活躍を続けたあと、平成10(1998)年7月場所限りで引退。当時できたばかりの準年寄制度によって現役名のまま三杉里親方となり、さらに年寄浜風を襲名して後進の指導にあたり、平成18(2006)年に日本相撲協会を退職。第二の人生として整体師の道を選び、専門学校で学んだあと、平成21(2009)年、東京・中野区に整体院「ごっつハンド」を開業。疲れたお客さんの体も心も癒す職人として、存在感を放っている。
【Profile】三杉里公似(みすぎさと・こうじ)/昭和37(1962)年7月1日生まれ、滋賀県甲賀郡信楽町(現・甲賀市)出身/本名:岡本公似/所属:二子山部屋/しこ名履歴:岡本→三杉里/初土俵:昭和54(1979)年1月場所/引退場所:平成10(1998)年7月場所/最高位:小結
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。
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