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【平成の名力士列伝:豊真将】"遠回り" のエリートが貫き続けた相撲への真摯な姿勢と引退を余儀なくされた突然のケガ (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【初日から14連敗でも貫いた真っすぐな相撲道】

 8歳で相撲を始めた豊真将は、埼玉栄高から日本大と相撲エリートの道を歩んできたが、大学1年の時、ケガと人間関係に嫌気がさしていったん相撲から離れている。その間は弁当屋、警備員、交通量調査など、いくつものアルバイトを経験しながら、遊びにも精を出し"キャンパスライフ"を謳歌したが、「隣の芝生が青く見えたんです(笑)」と相撲に打ち込んでいたときほどの充実感は得られなかった。

 たまたま鳶のバイト先の社長が錣山親方(元関脇・寺尾)と知り合いという縁で、相撲に対する思いが再熱。3年のブランクを経て、当時の年齢制限ギリギリの23歳になる直前に角界入りした。入門に際しては父親から「もう中途半端なことはするな」と言い渡された。

 現役中は幾多の試練にも決して逃げずに真正面から向き合い、苦難を乗り越えられたのも「自分から相撲を手放したので、相撲に対しては嘘をつかないで頑張ろうと思っていた」と入門前の経験が大きく影響していたのだった。定評があった土俵上の美しい所作や、深々と頭を下げてお辞儀する姿は、豊真将のそんな生きざまが滲(にじ)み出ていた。

 前頭筆頭だった平成21(2009)年5月場所は、初日から14連敗と出口の見えないトンネルを彷徨(さまよ)った。別段、体調が悪かったわけではなかっただけに、悩みも余計に深かった。落ち込む愛弟子に向けた、師匠の「お前に対する応援の声をしっかり聞いてみろ。全敗している力士に送られる拍手じゃないぞ」という言葉に前を向くことができた。

 千秋楽は嘉風の激しい張り手を交えた突っ張りの猛攻を耐え抜くと、寄りきって待望の初白星を挙げた。客席からの万雷の拍手と大声援は、単なる勝利へのそれではなく、連敗中も立ち合いの変化や安易な相撲に走らずに正々堂々の勝負に徹した、真っすぐな男のぶれない相撲道に対しての称賛であった。

 現役生活晩年、満身創痍の身でありながら、こんなことも言っていた。

「いろいろケガをしてからのほうが、相撲が楽しく取れた。大変だったけど、自分の弱いところを使わずに工夫しながらどうやって勝つのか、それを考えるのが楽しかった」

 豊真将の引退は、いばらの道を歩み続けてたどり着いた、喜びを知った矢先のことだった。

【Profile】豊真将紀行(ほうましょう・のりゆき)/昭和56(1981)年4月16日生まれ、山口県下関市出身/本名:山本洋介/しこ名履歴:山本→豊真将/所属:錣山部屋/初土俵:平成16(2004)年3月場所/引退場所:平成27(2015)年1月場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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