【平成の名力士列伝:栃東】芸術品の「おっつけ」と心の強さで存在感を発揮した平成の名大関

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

関脇に2度陥落して2度大関復帰を果たした唯一の力士である栃東 photo by Jiji Press関脇に2度陥落して2度大関復帰を果たした唯一の力士である栃東 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝11:栃東

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、中高校の先輩でもある横綱・若乃花も参考にしながら技を磨き、3度の優勝を飾った栃東を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【2度の陥落と大関復帰】

 大関で2場所連続負け越して関脇に陥落した力士は、翌場所10勝すれば大関に返り咲ける。それは決して簡単なことではない。昭和47(1972)年の制度創設以降、令和6(2024)年までにこの機会に挑んだ29例中、10勝以上して復帰したのは7例だけ。そんななか、唯一ひとりで2度の復帰を果たしているのが、平成時代の名大関・栃東だ。

 父は技能賞を6回受賞し、平幕優勝の経験もある技能派の名関脇・栃東。小学生時代は野球少年だったが、名門の東京・明大中野中学・高校で相撲に打ち込み、高3で高校横綱に。父が師匠を務める玉ノ井部屋に入門し、平成6(1994)年11月場所で初土俵を踏むと、序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両の各段ですべて優勝して番付を駆け上がり、たちまち三役や三賞の常連に。平成14(2002)年1月場所で大関に昇進し、優勝3回に輝いた。

 基本に忠実な押し、右四つ寄り、上手出し投げなど父譲りの「技」は一級品。中でも芸術品といわれたのが「おっつけ」だ。相手の左(右)手のヒジ付近の外側から右(左)手をあてて押すこのおっつけは、手のあて方、脇の締め方、腰の落とし方や寄せ方などがピタリとはまると、下半身の力も伝わって、大きな相手を紙のように軽々と押せるという、魔法のような技だった。栃東は、明大中野中・高の先輩にあたる横綱、3代目若乃花を手本におっつけを磨き上げた。

 栃東の土俵人生は、ケガとの闘いでもあった。入門直後の右ヒザ負傷のほか、大関目前で右肩を脱臼。乗り越えて大関に昇進した後も、左肩負傷などで何度もカド番を経験した。平成16(2004)年3月場所、左肩骨折で途中休場し、4度目のカド番の5月場所も全休してついに大関から陥落。7月場所で10勝して大関に復帰したが、9月場所は右ヒザ負傷、11月場所は左肩骨折でいずれも途中休場し、わずか2場所で再び大関から陥落。それでも平成17(2005)年1月場所、11勝して2度目の大関復帰を果たした。

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プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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