【平成の名力士列伝:朝青龍】飽くなき探究心で勝利を追求 品格を問われることもあった個性派横綱 (2ページ目)
【強さと品格の狭間で】
一方で、勝利への執念をむき出しにする姿は、横綱の「品格」に欠けるとの批判も浴びた。
横綱は、強くなければならない。いくら優勝を積み重ねても、1場所成績が悪ければ途端に非難を浴び、引退の危機と騒ぎ立てられる。一方で横綱には「品格」も求められる。常に他の模範となり、どんな相手にも正々堂々と受けて立つことを求められた。ほとんどの横綱は、「強さ」と「品格」を両立させようと苦しむ。朝青龍にもそんな葛藤はあっただろう。
しかし、引退会見での言葉にあったように、「土俵に上がれば鬼になる」と心に決め、相手にしがみついてでも白星をもぎ取った。平成18(2006)年9月場所で若手ホープの稀勢の里に敗れると、翌11月場所、立ち合いで変化して足を蹴る「蹴手繰り」の奇襲で白星をつかんだ。非難を浴びたが、「横綱が同じ相手に2度負けてはいけないよ」とどこ吹く風だった。
こうした土俵上での姿はともかく、土俵外での破天荒な行動は、言い訳のしようがなかった。モンゴルの大先輩である旭鷲山との一番で、マゲをつかんで反則負けとなったあと、駐車場で隣に停まっていた旭鷲山の車のドアミラーを破壊した。ケガで夏巡業を休場して治療のため帰国したモンゴルでサッカーに興じる姿が報じられ、2場所連続出場停止処分を受けた。最後は泥酔、暴行騒動を起こして、引退を余儀なくされた。
引退後の朝青龍は、故郷モンゴルで実業家として幅広く活動しながら、大相撲の動向はチェックし、遠慮会釈ないが相撲への愛にあふれた、朝青龍らしいコメントを寄せている。
特に期待を寄せているのが甥の大関・豊昇龍。風貌もよく似た、かわいい甥っ子が、やがて横綱になって「品格」の問題に悩んだとしたら−−偉大な叔父はどんな言葉を贈り、それを受けた豊昇龍は、どんな答えを導き出すのだろうか。
【Profile】朝青龍明徳(あさしょうりゅう・あきのり)/昭和55(1980)年9月27日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身/本名:ドルゴルスレン・ダグワドルジ/所属:若松部屋→高砂部屋/初土俵:平成11(1999)年1月場所/引退場所:平成22(2010)年1月場所/最高位:横綱(第68代)
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。
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