【平成の名力士列伝:朝青龍】飽くなき探究心で勝利を追求 品格を問われることもあった個性派横綱

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

物議をかもすことも多かったが、朝青龍の個性に多くの相撲ファンが魅了された photo by Kyodo News物議をかもすことも多かったが、朝青龍の個性に多くの相撲ファンが魅了された photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

連載・平成の名力士列伝05:朝青龍

 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

 そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、横綱としての品格を問われながら誰よりも横綱としての強さを追求し続けた朝青龍を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【史上初の年6場所完全制覇などの比類なき実績】

「皆様方は品格、品格と言うのですけれど、土俵に上がれば鬼になる気持ちで精いっぱい取らなければいけないというのが正直な気持ちです」

 平成22(2010)年2月4日、引退会見での朝青龍の言葉だ。抜群の集中力と勝負勘で圧倒的な強さを発揮する一方、強烈な個性を放ち、奔放な言動で物議をかもし続けた末、29歳の若さで土俵を去ることになった横綱が残した言葉には、朝青龍なりに真摯に相撲と向かい合った土俵人生がにじみ出ていた。

 モンゴル相撲の関脇を父にもち、16歳の時にモンゴル民族の祭典「ナーダム」の少年横綱に輝いた。高知・明徳義塾高校への相撲留学を経て、元大関朝潮の若松部屋(のち高砂部屋)に入門。平成11(1999)年1月場所、18歳で初土俵を踏むと、瞬く間に番付を駆け上がり、平成15(2003)年1月場所後、22歳で横綱に昇進する。

 当時、相撲界はちょうど世代交代の時期にあった。若乃花、曙、貴乃花、武蔵丸らの先輩横綱が次々に去った土俵に、朝青龍は一人横綱として圧倒的な強さで君臨する。平成16(2004)年に35連勝。平成17(2005)年には史上初の年6場所完全制覇と7連覇を成し遂げ、年間84勝の最多勝記録を樹立。平成19(2007)年1月には、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花という大横綱しか成し遂げていない20回目の優勝を史上最速で達成した。モンゴルの後輩・白鵬が横綱に並び立ったあとも随所で存在感を見せた。

 体は決して大きくはないが、抜群のスピード、瞬発力、相撲センスを猛稽古で磨き上げ、多彩な技を身につけた。張り手を交えた激しい突っ張り、廻しを引きつけての鋭い寄り、ねじ伏せるような上手投げを主武器に、窮地に陥ってもあきらめず、白星をもぎ取った。その真骨頂と呼べるのが平成16(2004)年7月場所の琴ノ若戦。上手投げに裏返しになったが、ブリッジの体勢のまま廻しを離さずにしがみついて懸命にこらえ、取り直しに持ち込んで白星をつかんだ。

 その相撲は個性にあふれ、スリリングで野性的な魅力があった。人気力士の遠藤は相撲が大嫌いだった少年時代、朝青龍の相撲をきっかけに相撲への興味をふくらませたという。

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プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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