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追悼・錣山親方~部屋の弟子だけでなく、多くの力士に愛された「熱血漢」を偲ぶ (3ページ目)

  • 武田葉月●文 text&photo by Takeda Hazuki

 部屋の出世頭でもある関脇・阿炎が入門したのは、2013年のこと。18歳。ヤンチャな堀切少年(本名・堀切洸助)を見た瞬間、無限の可能性を感じた親方の目に狂いはなかった。

 阿炎は、所要10場所で新十両に昇進。親方は、自らの少年時代のニックネーム「アビ」を「阿炎」という漢字に変えて四股名を与え、さらなる飛躍を期待した。

 番付のアップダウンが激しく、決して順調な歩みとは言えなかった。そうしたなか、2020年名古屋場所、阿炎の相撲協会のガイドライン違反が判明。出場停止処分になった。

 このとき、師弟は引退届を提出した。しかし受理されることなく、阿炎は幕下下位から出直しすることとなった。

 そこから、阿炎は自らの力で這い上がった。そして、2022年九州場所(11月場所)、幕内最高優勝を成し遂げる。

 東京の病院に入院中だった親方は、病室のテレビで、阿炎の初優勝を見守った。その際、無意識のうちに病室のビニール製のカーテンを握り締めていたという。

「師匠には迷惑ばかりかけましたが、これで、ようやく少し恩返しができました」

 阿炎から親方への"最高のプレゼント"から、わずか1年。持病の心疾患の急変で、錣山親方は帰らぬ人となった。

 阿炎は言う。

「『必ず大関になります』と生前の師匠と約束をしたんです。この約束を果たすため、名古屋場所も全力を尽くします」

 先の夏場所(5月場所)では優勝戦線に絡み、ふた桁勝利を挙げた阿炎には、昇進のチャンスが広がっている。

 主亡きあとの錣山部屋は、初期メンバーの豊真将が引き継ぎ、新師匠に納まった。阿炎の大関挑戦、そして豊真将の師匠としての指導ぶりに、親方は天国からエールを送っていることだろう。

この記事に関連する写真を見る錣山(しころやま)親方
元関脇・寺尾。1963年2月2日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は得意の突っ張りなどで活躍。相撲界屈指の甘いマスクと引き締まった筋肉質の体つきで、女性ファンからの人気も高かった。2002年9月場所限りで引退。引退後は年寄・錣山を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て、2004年1月に錣山部屋を創設した。以降、後進の育成に日々力を注いでいたが、2023年12月、持病の急変によって逝去。60歳だった。

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