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來田享子(中京大学教授)が語るこれからのオリンピック像「2年に1回の開催は、大会の意義を考えるいい機会にもなる」 (4ページ目)

  • 西村 章●取材・文 text by Nishimura Akira

【東京オリパラが残したものとは?】

日本のスポーツ界に課題は残るものの、少しずつ変化も見られるという來田氏 photo by sportiva日本のスポーツ界に課題は残るものの、少しずつ変化も見られるという來田氏 photo by sportivaこの記事に関連する写真を見る――その素地は少しずつできていますか?

來田:日本では教育の中でオリンピックに関する、こうした問いを立てることはやっていないので、今は、人によるとしか言えないでしょうね。少なくとも私はオリンピック研究者なので、オリンピックはどのようになっていくのがいいかと考え、問うていますし、たとえば男子・女子という種目分けはもうやめてもいいのではないですか、とも考えています。

――では、開催間隔は4年に1回でもいいのでしょうか。

來田:オリンピズムの理念にとって、どうなのかという考え方と、古代ギリシャのオリンピアードにのっとったものだとする考え方があると思います。閏年に私たちが暦をリセットするような感覚で、4年に一度理念を思い出す、という開催間隔の置き方はなかなか悪くないのではないかと思います。

――開催都市を固定するというアイデアはどうでしょうか。

來田:それはやめたほうがいいと思います。なぜなら、すごく長い距離を毎回移動しなければならない地域の選手とそうではない選手が固定化されてしまうので、競技の公平性を確保することが難しいからです。また、古代ギリシャのオリンピアのように一都市に固定すると、〈聖地〉としてそこに利益を集中させる可能性もあります。でも、たとえば5大陸で開催地を順番に回していくような方式であれば、可能性はあるのではないでしょうか。

――現在のようにひとつの都市で順次開催する方式を今後も続けていくのは、負担やリスクが大きすぎるでしょうね。

來田:そうですね。でも、2021年に東京大会を開催していなければ、この国がオリンピックに対して、こんな体たらくであることに私たちは気づかなかったのではないでしょうか。

――いい教訓になったと言うと語弊があるかもしれませんが......。

來田:いろんな意味で痛い支出でした。心も痛いし懐も痛い、という。勉強代というには高くつきましたが、それがなければいまも気づかないままだったことも多いでしょうし、「メダルは何個です」という話を相変わらずしていたかもしれない。意味がないことではなかった、そう考えるしかないというところもありますが、これからも意味を持たせるために、前を向きたいと思います。

 そして、意味がなくはなかったのであれば、これからも意味を持たせるために、前を向きたいと思います。

――それが実は東京オリンピックのレガシーだったのかもしれないですね。

來田:そうだと思います。でも、それは私が個人的に思うことであって、どれくらいの人が同じように思っていらっしゃるのかはわからないし、一人ひとり違っていてもいいと思います。本当はもっといいものにしたかったし、もっといいものにできたのではないかとも思うのですが、そう思うこと自体は希望ですよね。なぜなら、その先には未来があるわけだから。

>>前編「メディアの責任と東京五輪後に見え始めたアスリートの変化」

【Profile】來田享子(らいた・きょうこ)/中京大学スポーツ科学部スポーツ教育学科教授。近代オリンピック史研究の第一人者。ジェンダーやスポーツの社会的環境などさまざまな観点から国内外の史料を分析・研究する。これまで、日本のスポーツ団体にも関わり、日本オリンピック委員会、日本スポーツ協会、NPO法人日本オリンピック・アカデミーで要職を務め、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会では理事を務めた。

著者プロフィール

  • 西村章

    西村章 (にしむらあきら)

    1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)、『スポーツウォッシング なぜ〈勇気と感動〉は利用されるのか』 (集英社新書)などがある。

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