ロコ・ソラーレ藤澤五月が当時流行していた「ビクトリー!」と叫んでいた合宿 それがカーリング人生「すべての原点」だった
連載『藤澤五月のスキップライフ』
4投目:カーリング人生の転機となった合宿
ロコ・ソラーレの藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、カーリング人生における分岐点となってきた「合宿」での思い出を語る――。
カナダ・トロントで行なわれているグランドスラムに出場中のロコ・ソラーレ。その現地より。写真:吉田知那美撮影この記事に関連する写真を見る「ビクトリー!」と叫んだ初めての合宿
私のカーリング人生はいつも大きな動きがある前に、どこかで合宿をしていた記憶があります。今でこそ、年中どこかで合宿をしている生活ですが、ジュニア時代は「合宿」という響きだけでテンションが上がっていました。特に北見や常呂や帯広など北海道以外のアイスに乗る機会が少なかったので、ジュニア時代に道外でした合宿はどれも大きな思い出です。
道外での初合宿は高校1年の秋でした。父が「合宿しよう!」と言い出して、長野県の御代田町の『カーリングホールみよた』で1週間くらいトレーニングをしました。
実際に御代田のホールに入ると、外気とホール内との気温差でリンクに霧が立ち込めていて驚いたのと、リンクに布団をかぶってガチで昼寝をしている人がいて、「なんなんだろう、あの人は」という怪しさも抱きました。
あとから聞くと、昼寝していた人の正体はその年に日本選手権で初優勝していたSC軽井沢クラブのてっちゃん(清水徹郎/現コンサドーレ)でした。そういったことも含め、他の土地のホールは新鮮だったのを覚えています。
その時、お世話になったのは『天狗乃茶屋』という民宿兼食堂で、ご飯がとても美味しかったです。毎朝食事前に30分の散歩をして、午前にオンアイスで練習したら、午後はオフアイスでトレーニングというスケジュールを組んでいました。ちょうどその頃、『ビリーズブートキャンプ』が流行っていて、民宿の廊下で汗だくになって、みんなで「ビクトリー!」と叫んでいましたね。
その年の12月には日本ジュニアで初優勝したこともあり、父と「あの合宿の『ビクトリー!』がすべての原点だったなあ」という昔話を今でもします。
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