「数字=私の評価にはすごく違和感があった」スピードスケート小平奈緒が振り返る現役時代、好調時の葛藤 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

【迎えた最後のオリンピック】

 北京五輪の500mは、スタートで左足が氷に引っかかるアクシデントもあり、100m通過は絶好調時より0秒4以上遅い10秒72。ゴールタイムは38秒09で17位だった。そして1000mは、1分15秒65で10位という結果だった。

「五輪期間中、1000mが終わる日までずっと苦しかったですね。結果が出ないことは自分が一番知っていたので。でも、自分らしく戦う決心というか、それ以外のことができなかったので逆に諦めがついたというか。自分ができる最大限のことは、『私が私で戦うこと』だと思っていました」

 その姿は多くの人を勇気づけた。

「私が私で戦えたことで、自分を隠して生活していた人たちが、『私らしく生きていいんだというふうに思えた』と手紙をくれて。それはスポーツが示してくれる影響のひとつかなと思いました」

 小平が出場した4回の五輪を振り返ると、結果はもちろんすべて表情も違っていた。初出場の2010年バンクーバー五輪は、チームパシュートで銀メダルを取り、1000mと1500mで5位になったものの、自信がなさそうな顔。そして14年ソチ五輪は、調子が上がらず不安そうな表情だった。金1銀1を獲得した18年平昌五輪は自信にあふれ、最後の北京五輪は元気がなかった。

「確かにそうですね。五輪は一番ありのままで、人間らしかったかもしれません」と笑顔を見せる。

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