東京五輪の「経費のコスト超過率」は平均のはるか上も、詳細は闇の中。「レガシー」の継承は果たされずに終わった
(連載1:「負の遺産」は消えない。今後も国民に負担がかかる経費問題をあらためて検証する>>)
東京五輪が閉幕してから1年以上が経過した今、あらためてオリンピックの在り方を検証する連載の第2回。前回に続いて不透明な経費問題と、「オリンピック・レガシー」について考える。
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1964年の東京五輪は「1兆円オリンピック」と呼ばれた。当時の五輪経費1兆円はGDPベースで比較すると、おおよそ現在の18兆円。国家予算が総額3兆円の時代に、とてつもないお金をオリンピックに注ぎ込んだと批判された。ただし「1兆円」は、オリンピックの批判派が感情的に持ち出した数字ではなく、公式資料に基づいたものであった。
1964年の東京五輪の総経費は、公式報告書で明確に公表されている。組織委員会経費(大会運営費)99億4600万円、競技施設建設整備費165億8800万円、合計265億3400万円が大会経費。それ以外に大会関連経費として、9608億2900万円も報告されている。双方を合わせた9873億6300万円を東京五輪にかかったお金としており、「1兆円オリンピック」と呼ばれた。
約9600億円の大会関連経費は、インフラストラクチャーの事業費である。東海道新幹線の事業費約3800億円、地下鉄の整備費約1900億円、首都高速道路を含む道路整備費約1800億円など、公共事業、都市整備費用が計上されている。つまり、大会に直接関連があるとは言いきれない事業が項目に並び、それが大きな割合を占めているということだ。
第二次世界大戦の敗戦から約20年、貧弱なインフラでは五輪を開催できないこともあったが、「オリンピックのため」という理由で莫大な予算の公共投資が強引に推し進められた。道路整備や競技場建設のための住民の立ち退きも少なくなかったと伝えられている。
しかし、1964年の東京五輪組織委員会は、そのオリンピック批判の的になりうる「1兆円」という数字をあえて公式報告書に残した。大会には直接関連がないと説明し、含む必要がなかったかもしれない数字にもかかわらずだ。当時の組織委員会には「オリンピックのため」という名目で使われた公金は、すべてを市民に公表すべき、という考えがあったとも言えるのではないだろうか。
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