ロコ・ソラーレの吉田知那美は北京五輪で密かに苦しんでいた。「自分のことを信じられなかった」

  • 竹田聡一郎●取材・文 text by Takeda Soichiro
  • photo by JMPA

ロコ・ソラーレ連続インタビュー
第3回:吉田知那美

第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。

常に明るく振る舞ってチームをまとめていた吉田知那美常に明るく振る舞ってチームをまとめていた吉田知那美この記事に関連する写真を見る――北京五輪では銀メダル獲得、おめでとうございます。

「ありがとうございます」

――吉田知那美選手ご自身としては3度目の五輪でしたが、まずはそれぞれの五輪について簡単に振り返っていただけますか。最初は北海道銀行フォルティウス(当時)のメンバーとして臨んだ2014年ソチ大会。吉田知選手は22歳でした。

「う~ん、(五輪)初出場のドキドキ、フワフワというよりも、やっぱり緊張が大きかったですね。日本のカーリングは、これから世界に挑戦するというポジションでしたから、全敗だって十分に起こり得ることでした。私個人は世界選手権の経験もなかったですし、今でこそ『オリンピックを楽しむ』なんて言っていますけど、当時はそんなことを言える立場ではなかった気がします」

――試合が始まる前日に小野寺佳歩選手(現フォルティウス)のインフルエンザ罹患が判明し、急きょラインナップを変更するトラブルにも見舞われました。

「それも含めて、本当に自分のことだけで精一杯だったと思います。チームで国際大会の経験があったのも、(小笠原)歩ちゃんと(船山)弓枝ちゃん(現フォルティウス)だけでしたから、ふたりには本当に頼りっぱなしでした。たいらちゃん(苫米地美智子/現富士急)や佳歩、そして私にもっと経験があれば、『他にできることがあったのかな』と今でも思うことがあります」

――競技以外のこと、こんな写真を撮ったとか、こんなお土産を買ってきたといった記憶はありますか。

「お土産は何も買っていないんじゃないかな。本当に余裕がなかったし、『私はオリンピックを楽しめる分際じゃない。それよりも、自分のやることやらなくちゃ』くらいに考えていた気がします」

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