ロコ・ソラーレの吉田知那美は北京五輪で密かに苦しんでいた。「自分のことを信じられなかった」 (2ページ目)

  • 竹田聡一郎●取材・文 text by Takeda Soichiro
  • photo by JMPA

――その後の平昌五輪や北京五輪では、楽しそうにプレーしていた吉田知選手からは想像できない姿ですね。

「もちろん、ソチでの滞在も楽しい記憶がまったくないわけではありません。ソチの時は選手村のゲートを出るとすぐにカーリングのアリーナがあって、毎日歩いて通っていたんです。その他にも、アイス競技の会場が徒歩圏内にたくさんあって、開会式などのセレモニーが行なわれたスタジアムを含め、整備された五輪の街をたくさん歩いたことは、すごくいい思い出です」

――その4年後、ロコ・ソラーレのメンバーとして平昌五輪に出場。その時も、ソチ五輪同様の緊張感はあったのでしょうか。

「平昌五輪の時は意識して(オリンピックを)楽しむようにしていました。勝敗とは別に、自分なりにテーマを持って臨んだ大会だったと思います」

――そんな心がけに至るまでの、何かきっかけのようなものはあったのですか。

「ロコ・ソラーレに入って、2015年から2016年にかけてJD(ジェームス・ダクラス・リンドナショナルコーチ)と接する機会が増えて、JDが『Stay Positive』であったり、多くの言葉をくれたことが大きかったですね。

 またその頃、(国際大会の)コンチネンタルカップに出場できたりして、世界のカーリング選手とも徐々に仲良くなって、友だちも増えていきました。それで、『みんなに会いに世界大会に行く』という感覚が生まれたこともあると思います」

――確かに、今回の北京五輪でもカーリングの出場選手はみんな顔見知りで、友だちといった感じに見えました。

「それは、カーリングのすばらしいところだと私は思っています。私たちが今、カーリングが本当に楽しいのは、お互いによく知っている相手だからこそ、その言動や置く石ひとつで駆け引きが存在している。だからこそ、ゲームとしての面白さが増していると思うんです。チーム同士や選手同士の関係性や豊富なデータを知れば知るほど、カーリングは面白くなるので、それが見ている人にも伝わればいいなと願っています」

――一方で、競技レベルが上がっていくと、どうしてもタフなゲームが増えていきます。吉田知選手にとって、北京五輪で苦しい試合、厳しさを感じる試合はありましたか。

「韓国戦(5-10で敗戦)がつらかったです。私のラインコールで、さっちゃん(藤澤五月)の石をことごとくミスにしてしまいました。さっちゃんは投げも、ウエイトもよかったし、スイーパーも私のコールどおりに頑張ってくれたのに、私のせいでスチールされてしまうシーンもありました。

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