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原田雅彦「頭のなかは真っ白になった」。冬季五輪で大失速となったスキージャンプ団体最後のジャンプ (4ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 バイスフロクはこの試合最長不倒距離となる、135.5mを飛んで存在感を見せつけた。それでも原田は、K点よりはるか手前の105mを飛べば優勝という状況だった。しかし、原田の踏み切りは力強さがなく、ふらふらっと空中に出るとランディングバーンの上部の97.5m地点に着地してしまったのだ。

「踏み切った瞬間にダメだと思いました。タイミングが早かったから。あの頃の僕のジャンプは点の踏み切りで、当たり外れの差が大きかった。あの瞬間は本当に何も考えられないくらいショックで。陸上の400mリレーで最強のアメリカが、アンカーのカール・ルイスにバトンを渡そうとした瞬間に落としたのと同じですから」

 原田はそう振り返った。そして、五輪という舞台の難しさを小野コーチはこう説明した。

「いけると思って臨んだが、冷静に考えれば原田の2本目以外のジャンプは、実力より上の出来すぎだったと思います。個人で表彰台の常連がいないのが唯一のウィークポイントだったが、最後はバイスフロクの大ジャンプでそこを突かれてひっくり返されてしまった。4回やって3回勝てる力を持っていても、五輪は1試合しかないので難しい。それ以上の力を持っていなければ勝てないのだと痛感しました」

 その日の夜に行なわれたメダルセレモニー。日本から持ってきた"一番"と書かれたハチマキに、もう1本線を加えて"二番"にしたものをそろって頭にしめた日本代表4人は、満面の笑みを浮かべていた。

 悔しさもあり、うれしさもある銀メダル。原田と西方が25歳で、葛西は21歳という若いチームだった。4人の「次がある」という思いが、4年後の長野五輪金メダルにつながったのだ。

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