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「ひとり横綱」の照ノ富士、好調・御嶽海...秋場所注目力士を錣山親方が徹底解剖 (3ページ目)

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

 ちなみに、彼のお父さんと私は5歳違い。ほぼ同じ時代に相撲をとっていました。対戦成績は、私の10勝12敗。190㎝を超える長身の先代・琴ノ若は、とにかく体が柔らかかったので苦戦を強いられました。

 突き押しが得意の私にとって、体が柔らかく、ぐにゃぐにゃしているタイプは攻めづらいんですよ。だから、琴ノ若戦ではあえて突っ張らず、まわしを引いて、投げにいったりしていましたね。

 そういえば、琴ノ若が上位戦に向かう姿を見ていて、自らが初めて横綱、大関と対戦した時のことをふと思い出しました。

 昭和60年(1985年)秋場所、横綱は隆の里関、千代の富士関、大関は北天佑関、若嶋津関、朝潮関、大乃国関という顔ぶれだったのですが、前頭二枚目の私は、初日に大乃国関、2日目に北天佑関と、連日大関戦が組まれていました。

 だからといって、緊張することはまったくありませんでした。「負けて当然」という気持ちで挑んでいましたから、逆に相撲をとるのが楽しくて、楽しくて仕方がなかったです。

 そうして、10日目が終わった時点で6勝4敗と白星が先行していたこともあって、私は「これは、もしかしたらイケる(勝ち越せる)んじゃないか?」と浮き足立っていましたね。後半戦は番付が同等の力士との対戦が組まれていましたから、なおさらです。

 でも"勝ち"を意識しすぎた私は、かえって硬くなって、11日目から5連敗。6勝9敗の負け越しに終わりました。苦い思い出です。

錣山(しころやま)親方
元関脇・寺尾。1963年2月2日生まれ。鹿児島県出身。現役時代は得意の突っ張りなどで活躍。相撲界屈指の甘いマスクと引き締まった筋肉質の体つきで、女性ファンからの人気も高かった。2002年9月場所限りで引退。引退後は年寄・錣山を襲名し、井筒部屋の部屋付き親方を経て、2004年1月に錣山部屋を創設した。現在は後進の育成に日々力を注いでいる。

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